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名古屋高等裁判所 平成元年(う)182号 判決 1990年7月27日

主文

原判決中、被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役八年に処する。

押収してある「ナイフの刃体の一部がついて居る木造柄」一個(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の一の符号一)と「右ナイフ刃体の中央部と思われる刃体片」一個(同号の一の符号二)とを没収する。

本件公訴事実中「被告人が原審相被告人乙川二郎と共謀のうえ、Aを殺害し、Aの死体をA殺害現場付近の谷川の橋下に投棄した」という点(殺人事件)については、被告人は、無罪。

理由

第一  本件控訴趣意とこれに対する答弁本件控訴趣意は、第一次控訴審弁護人林又平作成控訴趣意書(ただし、第一点を除く)、被告人作成の平成元年一二月一二日付書面、当審弁護人梨木作次郎と同原田香留夫と同竹澤哲夫と同真部勉と同畑山実と同犀川千代子と同中安邦夫と同菅野昭夫と同中村三次と同加藤喜一と同鳥毛美範と同中田利通と同島崎正幸と同笹木和義と同木下淳博と同中杉喜代司と同本田祐司と同平松清志と同西村依子と同飯森和彦と同佐々木良博と同安田耕治と同苅野浩と同井澤光朗と同山本啓二と同青島明生と同池末彰郎とが連名で作成した同日付控訴趣意補充書、及び、同梨木作次郎作成の同日付意見書(ただし、第一のみ)に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、第一次控訴審検察官安村弘作成の昭和五一年六月一四日付答弁書(ただし、第一を除く)に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第二  強盗事件について

一  緒言(上告棄却との関係)

原審相被告人乙川二郎(以下「二郎」という)を被害者とする強盗事件とA(以下「A」という)を被害者とする殺人事件とについては、原審で併合審判され、原判決は、全部有罪の認定をしたうえ、A殺害行為について所定刑中死刑を選択し、A殺害行為と刑法四五条前段の併合罪の関係にある各罪(Aの死体の遺棄及び強盗事件)の刑は、同法四六条一項本文により、これを科さないこととしたところ、原判決に対する被告人からの控訴の申立により第一次控訴審裁判所が言い渡した控訴棄却の判決に対する被告人からの上告の申立により最高裁判所第一小法廷が宣告した差戻判決は、「この上告趣意の実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、いずれも刑事訴訟法四〇五条の上告理由に当たらない」と判断したうえ、職権調査の結果、殺人事件について、「右控訴棄却判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいては重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められ、なお、殺人事件は強盗事件と併合罪の関係にあるとして起訴されたものであるから、殺人事件のみを分離することはできない」という理由だけで、強盗事件については全く触れないで、右控訴棄却判決を全部破棄することとした。したがって、原判決中強盗事件に関して有罪の認定(事実認定及び法令適用)をした部分は、上告棄却による確定判決と同視すべきものと考えられ得るかもしれない。しかし、原判決は、「犯行に至る経緯」と「罪となるべき事実」との中で「被告人は、『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませた際、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに対して『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼し、Aの承諾を得たところ、宮川に対して『宮本』という偽名を使用していたことから、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽することができる』と考え、Aの殺害を決意し、二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえ、Aの死体を遺棄し、その後、『二郎を殺害して二郎から前記借用金を強取しよう』という前記計画に基づき、二郎に暴行を加えたが、二郎殺害及び金員強取の目的を遂げなかった」と認定判示し、また、第一次控訴審判決も、「控訴趣意中量刑不当の主張に対する判断」の中において「被告人は、『二郎をして金融業者から借金をさせたうえ二郎を殺害してその借入金を強取しよう』と計画したところ、金融業者から保証人を要求されたので、被告人と二郎との依頼によりAが保証人となるに及び、『Aをも殺害すれば右計画に基づく犯行の露顕を防止し得る』と考え、Aの殺害を決意し、二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、この共謀に基づき、Aを殺害し、更に、二郎と共謀のうえ、Aの死体を遺棄し、その後、『二郎を殺害して二郎から前記借用金を強取しよう』という前記計画に基づき、二郎に暴行を加えたが、二郎殺害及び金員強取の目的を遂げなかった」と認定判示しているのであるから、差戻判決が、殺人事件について、「第一次控訴審判決(ひいては原判決)には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいては重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである」とした以上、「もし殺人事件についての以上の『重大な事実誤認をした疑い』が払拭され得ない場合には、このことが第一次控訴審判決と原判決との強盗事件についての認定判示(その計画的犯行性、動機、犯意成立時期)にいかなる影響をもたらすか」という問題についての差戻判決の意向も示されてしかるべきであったと思われる。差戻判決の意図が奈辺にあるかは不明である(被告人に最も不利益な見方をするならば、差戻判決は「原判決認定判示の事実のうち『被告人は、《二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう》と企て、二郎を宮川に引き合わせ三〇万円の借入れを申し込ませたところ、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに《二郎の借金の保証人になって貰いたい》と依頼し、Aの承諾を得たところ、宮川に対し《宮本》という偽名を用いていたことから、《二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽することができる》と考え、Aの殺害を決意していた』という事実は、これを認定することができるけれども、原判決認定判示の事実中『二郎との間でA殺害についての共謀を成立させ、右共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえ、Aの死体をA殺害の現場付近の谷川の橋下に投棄した』という事実だけは、重大な事実誤認をした疑いが顕著である」と判断したに過ぎないとも考えられ得る)けれども、当裁判所における本件控訴趣意に基づく調査の結果によると、後記四の6のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる(刑事訴訟法四一一条参照)から、当裁判所において原判決の中の強盗事件に関する部分についても判断を示すこととする。

二  控訴趣意

控訴趣意中、強盗事件に関する所論の要旨は以下のとおりである。

1  争いのない事実

以下の事実は原判決認定判示のとおりである。

被告人が、昭和四七年五月一四日午後六時過ぎころ石川県加賀市<住所略>の通称学校山の下林道において、二郎(昭和二三年五月一九日生)の背後からいきなり二郎の顔面に所携のクリープ容器に入っている液体を浴びせ掛けて目潰しを加えたうえ、所携の切出し小刀(以下「本件小刀」という。名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の一の符号一の「ナイフの刃体の一部がついて居る木造柄」一個と同号の一の符号二の「右ナイフ刃体の中央部と思われる刃体片」一個とは、本件小刀の一部)で二郎の右脇腹を一回だけ突き刺し、更に、二郎の顔面や胸部等を本件小刀で切り付けるという暴行(以下「本件暴行」という)を働いた。

2  被告人の捜査官に対する各供述調書の非真実性

被告人の捜査官に対する各供述調書は、生まれて初めて人を本件小刀で刺したり切り付けたりしたということについて甚大な後悔・悔悟の念にとらわれている被告人に対する警察官の厳しい取調べ(「一〇年でも三〇年でも、一生涯、留置場にぶち込んでおくぞ」とか「わしらの言うことを『はい。はい』と聞いておれば、すぐ家へ帰してやる」などという、事実に反する供述の強要)の結果「警察の言うことに逆らうと、えらいことになる」という思いでした虚偽供述を録取したもので客観的事実に符合していないから信用に値しない。

3  被告人の原審公判廷における各供述の信用性

被告人の原審公判廷における各供述は充分信用できる。

4  原判決の事実誤認

原判決は、被告人の原審公判廷における各供述を信用せず、被告人の捜査官に対する各供述調書を信用したため、原判決には、以下の各点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある。

(一) 犯意の不存在

本件暴行は、被告人の世話で宮川から借金することができた二郎が、手元不如意の被告人を馬鹿にして多額の現金を見せびらかしたり冷淡な態度を取ったりしたため、これに立腹した被告人が、激情に駆られて、腹癒せに、二郎を痛めつけてやろうとしてした行為に過ぎず、その際、被告人は「二郎を殺そう」という意図も「二郎から金品を奪おう」という意図も全く抱いていなかったのであり、このことは、被告人の原審公判廷における各供述と以下(1)から(5)までの各事実とに照らして明白であるのに、原判決は、被告人の捜査官に対する各供述調書に基づき、「本件暴行は、『二郎を殺害して二郎から二郎所有の現金を奪おう』という意図(以下「強殺犯意」という)の下に行われた行為である」と認定判示している点

(1) 本件暴行の場所時刻

本件暴行が人目に付き易い場所で未だ明るい時刻に行われたこと

(2) 被告人の金品要求

本件暴行の前後を通じ、被告人が、二郎所携の現金に手を出そうとしたことも二郎に対し「金を寄越せ」等と要求したことも一切ないこと

(3) 本件小刀の形状

本件小刀は学校工作用の小刀(刃体が薄く、峰幅を薄手で、刃体の長さが一〇・六センチメートル、刃渡り五センチメートルで、刃先が折れているもの)であること

(4) 本件暴行の態様

本件暴行は右手(利き腕ではない)に持った本件小刀で一回だけ突き刺した後、本件小刀で切り付けたり、本件小刀を左右に振り払ったりしただけで、被告人は、素手の二郎に簡単に取り押さえられて攻撃を断念し、その結果、深さ二センチメートルの刺創(一か所)及び数か所の切創という傷害を、いずれも身体の枢要部から外れている部位に負わせたに止まっていること

(5) 本件暴行後の行動

二郎に取り押さえられた被告人は、直ちに本件小刀の刃を折り本件小刀を投棄し、地面に土下座して泣きながら謝罪し、その後、二郎を病院へ連れて行くため二郎を自動車に乗せ、傷の手当てのためのハンカチを二郎に渡したこと

(二) 中止未遂

仮に本件暴行が強殺犯意の下に行われた行為であったとしても、被告人は、本件暴行により二郎の顔面から血が出たのを見て気持ちが悪くなり、それ以上の攻撃を思い止まって、本件小刀を持っていた手を下におろしたのであり、したがって、その時点で、強殺犯意の実現を中止しようと決意し、この決意に基づく中止行為をした(それ故、強盗事件は、障害未遂ではなく、中止未遂に該当する)ものであるのに、原判決は、「二郎が本件小刀を両手で掴んで必死に抵抗したうえ、更に隙を見て自動車に飛び乗り、その場から逃げ延びて通行人に救助されたため、被告人が二郎殺害と二郎からの金品強取との目的を遂げることができなかった」と認定判示して、強盗事件は障害未遂に該当するとしている点

三  原審の訴訟手続違反及び原判決中の誤記

所論に対する判断の前に、職権により、原審の訴訟手続に法令の違反があるか否かという問題と右違反が原判決に影響を及ぼすことが明らかであるか否かという問題と原判決中の誤記とについて、一件記録と原判決とを検討してみることとする。

1  強盗事件の犯罪事実の中、強殺犯意以外の部分の認定に使用した各証拠について

原判決が、その「罪となるべき事実」中「第三」の事実の認定に使用した証拠として「証拠の標目」に掲げている各証拠の中、後記(一)から(六)までの各証拠は、原審で取り調べられた各証拠中の強盗事件の立証のために請求され採用され証拠調がなされたもの(以下「強盗原審証拠」という)ではなく、原審で取り調べられた各証拠中の殺人事件の立証のためにのみ請求され採用され証拠調がなされた証拠(原審で取り調べられた各証拠の中の殺人事件の立証のために請求され採用された証拠調がなされた証拠を、以下「殺人原審証拠」という。同一証拠が強盗原審証拠と殺人原審証拠との両者に該当する場合のあり得ることはいうまでもない)であり、しかも、後記(一)の二郎の検察官に対する昭和四七年八月一五日付供述調書は、原審共同被告人二郎に対する公訴事実の立証のためにのみ請求され採用され証拠調がなされた証拠であるから、被告人との関係では、殺人原審証拠にも当たらないことが一件記録により明らかで、したがって、右各証拠を強盗事件の認定判示の用に供したことは、訴訟手続の法令違反に該当するといわざるを得ない。ただ、原判決の「罪となるべき事実」中の「第三」の事実の認定のために使用した証拠として、原判決の「証拠の標目」に掲げられている各証拠の中の強盗原審証拠だけによっても、これと後記(一)から(六)までの各証拠とを併せて検討することによって認定することのできる事実と全く同一の事実(ただし、右事実が原判決認定判示の事実と異なることは、後述のとおりである)を優に肯認することができるから、この訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすものではない。

(一) 二郎の検察官に対する昭和四七年八月一五日付供述調書

(二) 原審第二〇回公判調書中、証人木谷庄八の供述記載部分

(三) 原審第二〇回公判調書中、証人出雲輝雄の供述記載部分

(四) 原裁判所の検証調書(昭和五〇年五月二六日施行)

(五) 中島正雄作成の昭和四九年一一月二八日付鑑定書

(六) 石川県警察本部刑事部鑑識課長作成の昭和四七年五月二六日付「鑑定書の送付について」と題する書面

2  強殺犯意の内容及び成立時期に関する証拠について

(一) 原判決の事実記載

原判決は、強殺犯意について、(罪となるべき事実)の中では「二郎殺害及び金員強取の目的を遂げなかった」と記載しているだけで、強殺犯意の内容及び成立時期については、原判決中の(被告人両名の経歴)の中の「三 被告人両名の出会い及び第一ないし第三の犯行に至る経緯」の中において「被告人は、『二郎をして金融業者宮川から金借をさせたうえ、二郎を殺害してこれを強取しよう』と企て、昭和四七年四月下旬ころ、二郎に対し、『家が面白くないから暫くどっかへ行って来よう。わしは家から四、五〇万円用意する』旨申し向け、二郎から『金を用意できない』旨返答されるや『知っている高利貸を紹介してやるから三〇万円借りたらどうか』と申し向け、二郎をして宮川からの金借を決意させ、二郎を宮川に引き合わせた」と記載しているだけである。

(二) 原判決の証拠記載

しかしながら、以上の「原判示の(罪となるべき事実)中の第三の犯行に至る経緯」に対応する(証拠の標目)については原判決の中に記載がなく、ただ、「被告人両名の出会い及び第一、第二の犯行に至る経緯について」という表題の下で証拠が挙示されているに過ぎないから、厳格に言えば、強殺犯意の内容及び成立時期を認定した根拠となる証拠は原判決に挙示されていないこととなるとも考えられ、そうだとすれば、この点で、原判決には理由の不備があるともいえよう。しかし、原判決中の「被告人両名の出会い及び第一、第二の犯行に至る経緯について」という表題は「被告人両名の出会い及び第一ないし第三の犯行に至る経緯について」という表題の誤記に過ぎないと判断されるから、以下、右判断の下で考察を進めることとする。

四  当裁判所の判断

所論にかんがみ、一件記録を精査し、強盗原審証拠と、当審で取り調べられた各証拠の中の強盗事件の立証のために請求され採用され証拠調がなされたもの(以下「強盗当審証拠」という。)とを併せて、検討してみる。

1  被告人の捜査官に対する各供述調書が信用に値するか否かについて

(一) 客観的事実

一件記録と強盗原審証拠とによると、以下の事実が認められ、強盗当審証拠によっても右認定は動かされない。

(1) 本件暴行

被告人は、昭和四七年五月一四日午後六時過ぎころ石川県加賀市<住所略>の通称学校山の下林道において、液体の入っているクリープ容器と切出し小刀(本件小刀・なお、名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の一の符号一の「ナイフの刃体の一部がついて居る木造柄」一個と同号の一の符号二の「右ナイフ刃体の中央部と思われる刃体片」一個とは、本件小刀の一部)とを持って、二郎の背後に忍び寄り、二郎の背後からいきなり二郎の顔面に右容器に入っている液体を浴びせ掛けて目潰しを加えたうえ、本件小刀を二郎の右脇腹に一回突き刺し、更に、二郎の顔面や胸部等を本件小刀で切り付けるという暴行(本件暴行)を働いた。

(2) 所轄警察署への通報

二郎は、同市<住所略>B医院で本件暴行による怪我の手当てを受けたが、その際、右手当てをした同医院の医師Bに対し、右怪我の原因について「熊にやられたための怪我である」と申告したところ、医師は、右怪我の異常さと右申告の内容とに不審の念を抱いて、所轄警察署にこのことを通報した。

(3) 係官の出動

そこで、所轄警察署係官は、二郎からの事情聴取により、右負傷の際に二郎が被告人と一緒に行動していたことを察知し、同県<住所略>所在の被告人方居宅に赴いた。

(4) 被告人の帰宅・逮捕

一方、被告人は、同郡山中町所在の寿司屋で寿司を食べてから同日午後一〇時ころ帰宅したが、その後間もなく被告人方居宅を訪れた所轄警察署係官が、被告人を同警察署に任意同行したうえ、被告人に対して二郎の右負傷の原因についての説明を求めたところ、被告人が前記(1)の事実を右係官に対して供述したので、右係官は同日午後一〇時五〇分被告人を、前記(1)の事実からなる強盗致死未遂(二郎を殺害して二郎から二郎所有の現金を奪取しようとしたこと)の容疑で、緊急逮捕した。

(5) 取調べ

その後、被告人は、強盗事件について、身柄を拘束されたまま、同夜から同月二四日まで同警察署司法警察員からの、同月二五日から同月三〇日まで検察官からの各取調べを受けたが、強盗原審証拠の中の被告人の捜査官に対する各供述調書は、以上の各取調べの結果を録取したものである。

(6) 客観的証拠との整合性

右各供述調書の記載内容は、医師B作成の診断書とBの司法警察員に対する供述調書と押収してある関係各証拠物(本件小刀の一部と二郎の着衣・名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の一の符号一から四まで)と司法警察員川畠喜久雄作成の昭和四七年六月五日付写真撮影報告書と司法警察員木村庄八作成の同年五月一七日付及び同月二三日付各実況見分調書と証人斉藤文夫の原審公判廷における供述とに、ほぼ一致している。

(7) 二郎証言との整合性

更に、被告人の捜査官に対する右各供述調書の記載内容は、司法警察員に対する昭和四七年五月一四日付供述調書のそれを除き、証人二郎の原審第七回公判期日における供述(以下「二郎証言」という)に、ほぼ一致している。

(二) 被告人の捜査官に対する各供述調書の信用性

右(一)の各事実に、右(一)の(5)の各取調べ本件暴行から間もない時期(被告人の記憶のまだ新しい時点)で行われたことと、右各取調べの際に被告人が虚偽の供述を迫られたというような事情が(被告人の原審公判廷における供述の他には)強盗原審証拠からは全く窺われないこと(この点については、殺人事件に関する被告人の捜査官に対する各供述が否認供述で一貫している点からも推知することができ、被告人の原審公判廷における各供述中「右各取調べの際に被告人が虚偽供述を迫られた」という供述部分は信用できない)とを併せ考えると、被告人の捜査官に対する右各供述調書の記載内容は、司法警察員に対する昭和四七年五月一四日付供述調書の記載内容がその他の強盗原審証拠との整合性に欠けるため信用できないという点を除き、極めて高度の証拠価値を有している(ただし、被告人の検察官に対する昭和四七年五月二五日付供述調書の中の「私は乙川君を殺すまでの気持ちはありませんでした」という供述記載は信用できない。このことは、後述のとおりである)と判断される。そして、強盗当審証拠によっても、以上の判断は動かされない(被告人の当審公判廷における供述と当審で取り調べられた被告人作成の陳述書との中「右各取調べの際に被告人が虚偽の供述を迫られた」という部分は信用できない)。

2  強殺犯意について

(一) 客観的事実

二郎証言や被告人の捜査官に対する前掲各供述調書を含む強盗原審証拠を総合すると、以下の事実が認められ、強盗当審証拠によっても右認定は動かされない。

(1) 被告人の経済状態

被告人は、石川県江沼郡山中町で蒔絵師をしている父親と母親との間と一人息子として、両親と母方の叔母との三人と共に同居して生活し、父親の仕事の手伝いをしていたが、その収入は、父親から支給される毎月二万円の手当てだけであり、その中から、預金講(旅行等の費用の積立や貯蓄等の目的で被告人らが加入・運営していた講)二組の会費として月額数千円を支払い、残額は自分の小遣いとして、遊興費(飲み代やパチンコ代やボーリング代及び馴染みの女性のいる特殊浴場での支払い等)に充て、毎月の遊興費もほぼ半月で遣い果たしてしまい、しかも、被告人が自由にできる預貯金は何もなかったし、被告人の父親は金銭的に被告人に厳格であるため、被告人としては、父親から遊興費を更に貰い受けるのが躊躇されるという状態であったので、前記預金講から数万円の借金をし、昭和四七年五月当時は、その返済に苦慮していた。

(2) 関西旅行

ところが、前記預金講の仲間で同年六月に関西方面に旅行しようという話が同年四月にまとまり、被告人は、この旅費の捻出についても頭を悩ませていた。

(3) 二郎の借金

そのころ二郎は、親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用として、被告人の斡旋で、同県小松市内の金融業者から三〇万円を借りることに話を決め、同年五月一〇日に右業者(宮川)から受領した小切手を翌一一日に換金して二〇万円余の現金を手に入れたが、その現金の中から二郎は、被告人の要請に応じ、被告人に一万円を貸与した。

(4) ドラィヴ

かような状況の下で被告人と二郎とは同月一四日午後被告人運転の自動車(軽四輪貨物自動車)で福井県方面にドラィヴに出掛けたが、そのとき二郎は二〇万円余の現金を携行していた。

(5) 停車

このドラィヴの途中、二郎の右現金携行を察知した被告人は、石川県加賀市須谷町地内を進行中、二郎に対して「野蕗を採って帰ろう」と持ち掛け、同地内の通称学校山の下林道に入り、右林道の奥で右自動車を停めたが、その際、被告人は、車が出易い状態にして駐車した。

(6) 被告人と二郎との間の雰囲気

それまでの間、二郎が被告人に対し「二郎が費用を持つから競艇に行こう」と誘ったりするなど、被告人と二郎との間に気まずい雰囲気は何もなく、二郎は、被告人を馬鹿にしたことも被告人に冷淡な態度を取ったこともなかったし、また、被告人は、二郎に借金を申し込んだり借金の申込を仄めかしたりしたこともなかった。

(7) 本件暴行

二郎と被告人とは、前記(5)の駐車の後、直ちに車外に出たが、被告人は、右自動車に引き返し、液体が入っているクリープ容器と本件小刀とを車内から持ち出し、これを手にして二郎に近づき、同日午後六時過ぎころに、周囲に人気のないのを見すまし、二郎の背後からいきなり二郎の顔面に右容器に入っている液体を浴びせ掛けて目潰しを加えたうえ、本件小刀を二郎の右脇腹に一回突き刺し、更に、二郎の顔面や胸部等を本件小刀で切り付け、更に、本件小刀を両手で構えて、土手に身体を凭れ掛けていた二郎の正面から二郎の腹部目掛けて再び突き掛かったが、その瞬間、二郎は両手で被告人の両手を押さえ付け、ここに被告人と二郎とが本件小刀を奪い合う形になった。

(8) 犯行場所

本件暴行が行われた場所は山菜採取の人が立ち入ることもないではないような場所であり右自動車が其処に到着するまでには林道の傍で田植中の人の目に止まる恐れがないではなかった(以上のことは強盗当審証拠で認められる)とはいえ、右犯行場所付近は、田畑も尽き、人目に付かない奥まった場所であり、本件暴行も他人が容易にこれを現認し得るような状態でなされたものではなく、被告人が其処に二郎を誘導したものである。

(9) 発覚の危険性(殺意)

被告人は二郎と数年来の遊び仲間であって、家も近く、同じ中学校の卒業生(被告人の方が二年先輩)であり、したがって、本件暴行後、二郎が同人の居宅に逃げ帰れば、前記強盗行為が直ちに明るみに出る危険が充分予想される状況であった。

(二) 強殺犯意の存在

右(一)の各事実に被告人の捜査官に対する前記1の(二)の各供述調書を併せて考察すると、本件暴行は強殺犯意の下に行われた行為であるという事実を認定することができ、強盗原審証拠によって明らかな以下(1)から(5)までの各事実を考慮に入れても、右認定は動かされない。被告人の検察官に対する昭和四七年五月二五日付供述調書中の「私は乙川君を殺すまでの気持ちはありませんでした」という供述記載と被告人の原審公判廷における供述の中「被告人が強殺犯意を抱いたことはなかった」という供述部分とは信用できないし、その外には、強盗原審証拠の中に、「本件暴行が強殺犯意の下に行われた行為である」という前記認定に反するものは見当たらないし、更に強盗当審証拠によっても、本件暴行が強殺犯意の下に行われたという前記認定を左右することはできない。

(1) 本件暴行の場所時刻

本件暴行が、山菜採取の人が入ってくるような場所で行われ、そこに到達するには田植中の人の目に止まる恐れがあったし、また、本件暴行が未だ明るい時刻に行われた。

(2) 被告人の金品要求

本件暴行の前後を通じ、被告人が二郎所携の現金に手を出そうとしたことも、また、被告人が二郎に対して「金を寄越せ」等と要求したことも一切なかった。

(3) 本件小刀の形状

本件小刀は学校工作用の小刀(刃体が薄く、峰幅も薄手で、刃体の長さが一〇・六センチメートル、刃渡り五センチメートルで、刃先が折れているもの)であった。

(4) 本件暴行の態様

被告人は、最初に二郎を突き刺したときには、利き腕ではない右手に本件小刀を持っていたのであり、また、最終的には、素手の二郎に取り押さえられて攻撃を断念し、その間、二郎に有効な攻撃を加えることができず、その結果、深さ二センチメートルの刺創(一か所)及び数か所の切創という傷害を、いずれも身体の枢要部から外れている部位に負わせたに止まった。

(5) 本件暴行後の行動

二郎に取り押さえられた被告人は、その後二郎と共に本件小刀の刃を折り、本件小刀を投棄し、地面に土下座して泣きながら謝罪した。

(三) 犯意成立時期

しかし、強盗原審証拠と強盗当審証拠とを精査検討してみても、強殺犯意が被告人の胸中に生じた時期が原判決認定判示のような時点(前記(一)の(3)のとおり二郎が親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用として石川県小松市内の金融業者から三〇万円を借りることについて被告人が斡旋に乗り出した時点よりも前の時点)であったという事実、すなわち、「被告人は、『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませたところ、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼し、Aの承諾を得たところ、宮川に対しては『宮本』という偽名を使用していたことから、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽することができる』と考えて、Aの殺害を決意し、二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、その後において『二郎を殺害して二郎から前記借用金を強取しよう』という前記計画に基づき本件暴行をした」という事実は、確信をもって、これを認定することができない。強盗原審証拠と強盗当審証拠とによれば、前記(一)の(4)のドラィヴの途中で被告人が二郎に「野蕗を採って帰ろう」と持ち掛けた時点の直前ころには被告人が強殺犯意を抱いていたという事実を、確信をもって認定することができるに止まり、それよりも前の時点で被告人が強殺犯意を抱いていたかもしれないとも考えられ得るが、この点については、なお、合理的疑惑を払拭し得ない。

3  障害未遂の点について

(一) 未遂

強盗原審証拠によると、被告人は二郎殺害も二郎からの現金奪取も完遂しなかったことが明らかである。

(二) 未遂の原因

被告人の捜査官に対する前掲各供述調書と二郎証言とを含む強盗原審証拠によると、強殺犯意が実現されなかったのは、以下の事情に基づくものであることが認められ、強盗当審証拠によっても右認定は動かされない。

(1) 二郎の抵抗

本件暴行の一環として、前記2の(一)の(7)のとおり、被告人は、本件小刀を両手で構えて、土手に身体を凭れ掛けていた二郎の正面から二郎の腹部目掛けて再び突き掛かったが、その瞬間、二郎は両手で被告人の両手を押さえ付け、ここに被告人と二郎とが本件小刀を奪い合う形になった。この奪い合いの最中に、二郎が「離せ」と叫んだところ、被告人が「何もせんから、お前こそ離せ」と言い、ここで手を離したら危ないと感じた二郎が重ねて被告人に「お前みたいな奴、信用できんから、お前こそ離せ」と言い返した。

(2) 本件小刀の折損

被告人は、「被告人の方で手を離したならば、体力に勝る二郎が逆に被告人を殺すかもしれない」と考え、本件小刀を二郎に渡すことは絶対にできない」という思いの下に「それなら、ナイフを地面に刺して折ってしまおう」と呼び掛けたところ、二郎は「こんなところでは折れんから、車の所で折ることにしよう」と答え、ここに被告人と二郎とは、それぞれ両手で本件小刀を持ったまま前記駐車車両の傍に戻り、右車両の扉の付け根の箇所に本件小刀の先を差し込み、二人で力を併せて本件小刀を折ってしまった。

(3) 彌縫策

その後、被告人は土下座して二郎に謝罪して許しを請うたが、本件暴行のため血を流している二郎の「病院へ連れて行け」という何回もの懇願を無視し、その場を動こうとせず「もう少し話をしていこう」と繰り返すばかりであったが、その間、被告人と二郎との間で「本件暴行による二郎の負傷は、熊に襲われたための傷であることにしよう」という約束が成立した。

(4) 二郎の逃走

しかし、被告人が何時までも腰を上げないため、二郎は、被告人の隙を窺い、前記自動車に飛び乗り、これを運転して、その場から逃げ出した。

(5) 被告人の行動

被告人は、本件暴行後、これによる二郎の怪我の手当ては何もしておらず、二郎が右自動車で右(4)のとおり逃げ出した後、徒歩で右自動車を追跡したが、二郎は、折から付近に来合わせた自動車の運転者に救助を求め、右自動車に同乗させて貰って、被告人の追跡から逃れ、病院へ運び込まれた。

(三) 障害未遂

右(二)の事情にかんがみると、本件暴行後の被告人の言動は、その場を一時的に糊塗するための方便に過ぎないと判断されるのみならず、二郎の怪我の手当ては何もしていない(しかも、被告人は、二郎の救助要請により二郎を乗せた前記(二)の(5)の自動車が走り去って行った後に前記(二)の(4)の自動車を運転して付近を徘徊した後に石川県江沼郡山中町所在の寿司屋で寿司を食べてから二郎との前記(二)の(3)の約束に一縷の望みを託して帰宅したことが、強盗原審証拠により認められる)のであるから、被告人は、本件強盗致死未遂の犯行について障害未遂の責任を負わなければならない道理であり、本件強盗致死未遂が中止未遂に該当するものではないことが明らかである。被告人の原審公判廷における供述のうち以上の認定に反する部分は信用できず、その外には、強盗原審証拠の中に以上の認定に反するものは見当たらず、強盗当審証拠によっても右判断は動かされない。

4  原判決認定の正当な部分

以上の理由により、強盗原審証拠によると、原判決認定事実のうち強盗事件に関する部分は、「前記2の(一)の(4)のドラィヴの途中で被告人が二郎に対し『野蕗を採って帰ろう』と持ち掛けた時点の直前ころには被告人が強殺犯意を抱いていたという事実を、確信をもって認定することができるだけに止まり、それよりも前の時点で被告人が強殺犯意を抱いていたかもしれないとも考えられ得るが、この点については、なお、合理的疑惑を払拭し得ない」という当裁判所の判断と抵触する部分を除き、これを優に肯認することができる。

5  原判決の事実誤認部分

そして、原判決が「被告人は、『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませたところ、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼し、Aの承諾を得たところ、宮川に対しては『宮本』という偽名を使用していたことから、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽し得る』と考え、Aの殺害を決意し、二郎との間でA殺害についての共謀を成立させ、…その後、『二郎を殺害して二郎から前記借用金を強取しよう』という前記計画に基づき本件暴行をした」という事実を認定判示している点は、刑事訴訟法三八二条所定の事実誤認に該当する。

6  事実誤認の判決に及ぼす影響等

そして、原判決認定判示の右5の事実を前提とする場合には、強盗事件の犯行は、極めて計画的、且つ、悪質な犯行であることとなる(被告人の前記2の(一)の(3)の所為が強盗殺人の実行のための準備的行為ということになる)といわざるを得ず、かかる犯行の犯人である被告人に対する量刑を相当重くしなければならないのに対し、右4の当裁判所の判断を前提とする場合においては、強盗事件の犯行は、発作的な偶発的犯行に止まり、かかる犯行の犯人である被告人に対する量刑は相当軽くしなければならないこととなり、したがって、このような極めて重大な事項についての事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、しかも、右のような重大な事実誤認は、これを理由に原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、この点において、原判決は破棄を免れない。論旨は、以上の限度で理由がある。

第三  殺人事件について

一  控訴趣意

控訴趣意中、殺人事件に関する所論の要旨は以下のとおりである。

1  争いのない事実

以下の事実は原判決認定判示のとおりである。

(一) 二郎の借金

被告人が昭和四七年四月下旬から同年五月上旬にかけ二郎を石川県小松市内の金融業者宮川に引き合わせ『二郎が宮川から金借したい』という借入の申込を二郎から宮川に対してさせたところ、宮川から右借金につき保証人を要求されたので、被告人の斡旋で、二郎がA(昭和二三年二月二〇日生)に依頼して、Aに右保証人になって貰った。

(二) 被告人の経済状態

その当時、被告人自身も、他から借金していたし、また、友人と共に関西方面に同年六月に旅行する予定を立てていた。

(三) Aが同年五月上旬ころに殺害された(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号四〇から四七までの頭蓋骨は右死体の頭蓋骨である)。

2  二郎証言を除く二郎の原審公判廷における各供述(以下「二郎原審供述」という)の非真実性

二郎原審供述は、以下の諸点で、明白な客観的事実に符合していないし、前後矛盾している点が多々あるから、信用に値しない。

(一) 客観的事実との相違

(1) Aの血痕

「被告人が昭和四七年五月一一日午後九時ころ石川県<住所略>付近で県道伊切山中線から南方に分岐している林道(以下「南又林道」という)内で右分岐点(以下「本件分岐点」という)から約五〇〇メートル進入した地点(以下「本件現場」という)で停止している普通乗用自動車(被告人方のブルーバード・以下「本件自動車」という)の後部座席に座っていたAの左脇腹を所携の切り出し小刀(以下「本件ナイフ」という)で突き刺すのを二郎が目撃したし、また、そのため、本件自動車の後部座席を覆うビニール・シートカヴァー(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号二五)やその上に敷いてあった自動車後部座席シート(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号二六)や被告人の着衣(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号八)にAの血が付着したのを二郎が目撃した」という供述は、当時Aが身に付けていた着衣(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号一五から二〇まで)の左脇腹に対応する部分に、かかる損傷が見当たらず、また、当時本件自動車の後部座席を覆っていた右シートカヴァーやその上に敷いてあった右座席シートや被告人の右着衣にAの血痕は存在しない点にかんがみ、信用できない。

(2) 本件凶器

「被告人が本件凶器を本件自動車のトランクに積み込み、本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述は、本件凶器が発見されていないのみならず、右供述のような形状や大きさの道具(よき又はまさかり)が当時被告人の家や被告人の父親の工場には存在していなかった点にかんがみ、信用できない。

(3) 陥没骨折

「本件現場で仰向けに倒れているAの足の方に立った被告人が根切よき(以下「本件凶器」という)でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述は、Aの死体の頭蓋冠(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号四〇)に残されている陥没骨折が、右供述のような殴打によって生ずることはあり得ないという点にかんがみ、信用できない。

(4) 二郎原審供述の自己矛盾性等

二郎原審供述は、二郎と被告人との間でA殺害の相談が行われた日時場所その他に関して、二郎原審供述や二郎の捜査官に対する供述の中で矛盾し撞着している供述部分が多々あり、また、前記(1)から(3)までの諸点以外にも、客観的事実と整合し得ないような供述が含まれている点からして、到底信用できない。

3  原判決の事実誤認

被告人の原審公判廷における各供述は充分信用できるにもかかわらず、また、前記2のとおり、二郎原審供述は信用できないにもかかわらず、原判決は、被告人の原審公判廷における各供述を信用せず、二郎原審供述を信用したため、原判決には、以下の各点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある。

(一) 犯行の動機

被告人は、被告人自身の前記1の(二)の借金の返済の見込みも立っていたし、更に、前記1の(二)の旅行費用の調達の当てもあったので、金銭の捻出に苦慮していたことはないのであり、したがって、「被告人は、『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませたが、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼して、Aの承諾を得たところ、宮川に対して『宮本』という偽名を使用していたことから、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽することができる』と考えて、Aの殺害を決意した」というような事実も全然ないのであるが、原判決は、「被告人は、自分の借入金の返済の見込みが立たず、更に、関西・大阪方面の旅行の費用調達の当てもなかったため、金銭の捻出に苦慮していたので、『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませたところ、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼し、Aの承諾を得たが、宮川に対しては『宮本』という偽名を使用していたことから、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽することができる』と考えて、Aの殺害を決意した」と認定判示している点

(二) 共謀

被告人は二郎と「Aや宮川を殺害しよう」という相談をしたことは全然なく、したがって、「昭和四七年五月七日午後九時ころ石川県<住所略>所在の灯明寺の付近の路上で被告人が二郎に対して『宮川から金を借りた後で、Aに《お礼をやる》と言ってAを誘い出し、Aをばらそう。俺はナイフでやるから、君はまさかりでやってくれ。宮川もやってしまえば、金を返さなくても良いし、家の者にもばれないで済む。二人共やってしまおう』と提案したところ、二郎もこれに同意し、ここにおいて被告人と二郎との間でA殺害についての共謀が成立した」というような事実は全くないのであるが、原判決は、「昭和四七年五月七日午後九時ころ石川県<住所略>所在の灯明寺の付近の路上で被告人が二郎に対して『宮川から金を借りた後、Aに《お礼をやる》と言って、Aを誘い出し、Aをばらそう。俺はナイフでやるから、君はまさかりでやってくれ、宮川もやってしまえば、金を返さなくても良いし、家の者にもばれないで済む。二人共やってしまおう』と提案したところ、二郎もこれに同意し、ここにおいて、被告人と二郎との間にA殺害についての共謀が成立した」と認定判示している点

(三) アリバイ

被告人は昭和四七年五月一一日午後八時ころ以降は被告人方居宅でテレビを見ており、同日夜は全く外出しなかったし、同日夜には被告人方の普通乗用自動車(本件自動車)を被告人が持ち出したことも全くなく、したがって、「被告人は、昭和四七年五月一一日午後八時過ぎ、本件ナイフを携え、本件凶器を本件自動車のトランクに積み、二郎と共に石川県加賀市<住所略>所在のA方居宅付近路上に赴き、其処でAを本件自動車に乗せ、Aと二郎とが同乗している本件自動車を運転して石川県江沼郡山中町四十九院町から四十九院墜道を経て山中温泉方面に向かう県道伊切山中線を西方山中温泉方面に向かい進行中、東町二丁目ホ部一四一付近で右県道から南方に分岐する南又林道に乗り入れ、本件分岐点から約五〇〇メートル進入した地点(本件現場)で本件自動車を停止させたうえ、同日午後九時ころ、停止中の本件自動車内において、『Aを殺害しよう』という意図の下に、Aの左脇腹を本件ナイフで突き刺し、Aを車外に引きずり出したうえ、逃げようとするAを追い掛けて、Aの腹部等を本件ナイフで数回突き刺してAを南又林道上に仰向けに昏倒させた後、二郎が前記トランクから取り出して本件凶器を二郎から受け取り、本件凶器の峰でAの頭部を殴打し、その結果、そのころその場でAを死亡させ、右犯行直後に、二郎と共謀のうえ、Aの死体を本件現場付近の谷川の橋の下に投げ込んだ」というような事実は全くないのに、原判決は「被告人は、昭和四七年五月一一日午後八時過ぎ、本件ナイフを携え、本件凶器を本件自動車のトランクに積み、二郎と共に石川県加賀市<住所略>所在のA方居宅付近路上に赴き、其処でAを本件自動車に乗せ、Aと二郎とが同乗している本件自動車を運転して石川県江沼郡山中町四十九院町から四十九院墜道を経て山中温泉方面に向かう県道伊切山中線を西方山中温泉方面に向かい進行中に同町東町二丁目ホ部一四一付近で右県道から南方に分岐する南又林道に乗り入れ、本件現場で本件自動車を停止させたうえ、同日午後九時ころ、停止中の本件自動車内において、『Aを殺害しよう』という意図の下にAの左脇腹を本件ナイフで突き刺し、Aを車外に引きずり出したうえ、逃げようとするAを追い掛けて、Aの腹部等を本件ナイフで数回突き刺し、そのためAが南又林道上に倒れたが、その後、本件自動車の傍にいた二郎に近づき、二郎が前記トランクから取り出した本件凶器を二郎から受け取り、本件凶器の峰でAの頭部を殴打し、よって、その場でAを死亡させ、右犯行直後に、二郎と共謀してAの死体を本件現場付近の谷川の橋の下に投げ込んだ」と認定判示している点

二  当裁判所の判断

所論にかんがみ、一件記録を精査し、殺人原審証拠と、当審で取り調べられた各証拠の中の殺人事件の立証のために請求され採用され証拠調がなされたもの(以下「殺人当審証拠」という)とを併せて、検討してみる。

1  確定的事実

一件記録と殺人原審証拠と殺人当審証拠とによれば、以下の事実が明らかであり、殺人原審証拠と殺人当審証拠とのうち右認定に反する部分は信用できない。

(一) 被告人の経済状態

被告人は、石川県<住所略>で蒔絵師をしている父親と母親との間の一人息子として、両親と母方の叔母との三人と共に同居して生活し、父親の仕事の手伝いをしていたが、その収入は、父親から支給される毎月二万円の手当てだけであり、その中から、預金講(旅行等の費用の積立や貯蓄等の目的で被告人らが加入・運営していた講)二組の会費として月額数千円を支払い、残額は自分の小遣いとして、遊興費(飲み代やパチンコ代やボーリング代及び馴染みの女性のいる特殊浴場での支払い等)に充て、毎月の遊興費もほぼ半月で遣い果たしてしまい、しかも、被告人が自由にできる預貯金は何もなかったし、被告人の父親は金銭的に被告人に厳格であるために、被告人としては、父親から遊興費を更に貰い受けるのが躊躇されるという状態であったので、前記預金講から数万円の借金をし、昭和四七年五月当時は、その返済に苦慮していた。ところが、前記預金講の仲間で同年六月に関西方面に旅行しようという話が同年四月にまとまり、被告人は、この旅費の捻出方法についても頭を悩ませていた。

(二) 二郎の借金

そのころ、二郎は親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用の捻出の件を被告人に相談したところ、被告人の斡旋で同県小松市内の金融業者から借りることとなり、被告人は、同年四月下旬から同年五月上旬にかけ、二郎を右金融業者宮川に引き合わせ、「二郎が宮川から金を借用したい」という申込を二郎から宮川に対して行わせたが、右借入れについて宮川から保証人を立てることを要求された。そこで、二郎は、かかる保証人の斡旋を被告人に依頼し、これに応じた被告人は、先ず、被告人の小学校の同級生のC方居宅に二郎を連れて行き、被告人と二郎との両名でCに対して「二郎が他人から借用する三〇万円の借金の保証人になって貰いたい」と依頼したが、Cから拒絶されたので、被告人の友人のAに依頼して、Aに右保証人になって貰い(そのためAは同月八日にAの印鑑《名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号三》により印鑑証明書の発行を受け、これを二郎に交付した)こうして準備を整えた二郎は、Aから預った右印鑑を用いて右借金のための書類を整えたうえ、宮川からの借入金として同月一〇日に宮川から小切手を受領し、右小切手を翌一一日に換金して二〇万円余の現金を手に入れたのであるが、その後、被告人の要請に応じて、右現金の中から一万円を被告人に貸与した。

(三) Aの死体の発見

Aは、同年五月一一日午後八時ころ石川県加賀市<住所略>所在のA方居宅から外出した(そのとき母親から「早く帰って来い」と言われた。そして右外出の時点で前記(二)の印鑑はAの居宅に戻っていた)まま行方不明になり(何人かによって殺害され)、同年七月二六日、白骨死体となって本件現場の傍の谷川の中で発見され、また、この死体の付近でAの着衣や所持品(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号一五から二四まで)も発見されたが、Aの死体の頭蓋骨(名古屋高等裁判所平成元年第三六号の符号四〇から四七まで)に陥没骨折が残されていた。

(四) 二郎自供

そこで、氏名不詳者によるA殺害事件の捜査が開始されたところ、同月二七日に二郎が警察官に「二郎と被告人とは『Aを殺害しよう』という共謀をし、二郎がAと共に同年五月一一日の夜、被告人運転の本件自動車に乗って前記県道伊切山中線を進行中、本件自動車は本件分岐点で左折して南又林道に入り本件現場に到着し、其処で二郎と被告人とが前記共謀に基づきAを殺害し、その後、二郎と被告人とが共謀してAの死体を前記谷川の中に遺棄した」と供述し、その後「右殺害のときAの覆いていた靴は、殺害後、同県加賀市潮津町の草地に投棄した」と述べ、この供述に基づき捜査官が同県加賀市潮津町の草地を捜索した結果、右捜索により、この草地から、Aが生前使用していた茶色革短靴(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号四)が初めて、発見されるに至った(したがって、A殺害又はその死体の処理に、二郎が何らかの形で関与していたことだけは、これを認めることができる)。その後二郎は、原審共同被告人として原裁判所に対し、また、三重刑務所で証人として第一次控訴審裁判所や第一次控訴審受命裁判官に対し、更に、当審公判廷で証人として当裁判所に対し、「二郎と被告人とは『Aを殺害しよう』という共謀をし、二郎がAと共に同年五月一一日の夜、被告人運転の本件自動車に乗って前記県道伊切山中線を進行中、本件自動車は本件分岐点で左折して南又林道に入り本件現場に到着し、其処で二郎と被告人とが前記共謀に基づきAを殺害し、その後、二郎と被告人とが共謀してAの死体を前記谷川の中に遺棄した」との供述を一貫して維持している(二郎原審供述と二郎の三重刑務所及び当審公判廷における右各証言を、以下「二郎供述」と総称する)。

(五) 死体発見場所

前記A方居宅から、Aの死体が発見された場所(本件現場付近の谷川)までは、直線距離で約五・五キロメートル離れ、Aの死体が発見された場所から、当時Aが履いていた靴が発見された場所までは、直線距離で約一二キロメートル離れ、Aの死体が発見された場所は相当山の中であり、本件分岐点で左折して南又林道に進入するには数回の切り返しをしなければならず、更に、本件分岐点から本件現場に至る南又林道は、下り坂に続いて上り坂に変化する道路で、道幅が約二・五メートルしかなく曲がりくねっており路面の凹凸がひどく、両側の立木のため(左右や前方への)見通しが利かないばかりか、片側は谷川に面し反対側は山が迫り、路面が傾斜し、且つ谷川側の路肩は草に覆われ、この道路を前記分岐点から本件現場まで約五〇〇メートルもの間を本件自動車で走行するには高度の運転技術を要するのみならず、熟練運転者でも細心の注意(不断の前方注視と小刻みのハンドル操作と絶え間のないギァ切替え)が必要であるところ、二郎は、自動車運転免許を受けていないのみならず、自動車の運転に習熟してもいなかった。したがって、二郎が何らかの形で関与していたA殺害又はAの死体の処理の際に、二郎の他に、自動車運転に習熟していた共犯者がいたという可能性が強い。

(六) 被告人と二郎との交遊

ところで、昭和四七年五月当時、二郎は頻繁に被告人と接触し、連日のように被告人運転車両に同乗して被告人と行動を共にしていた。

(七) アリバイ主張の変遷

しかるところ、昭和四七年五月一一日夜(二郎供述によると、A殺害の夜)の行動について、被告人は、捜査段階と原審公判の初期とにおいて「友人の家庭を訪問していた」と供述し、この友人が同夜の被告人来訪を明確に否定するや、被告人の父親の証言(「被告人は同夜被告人方居宅にいた」という証言)に沿うよう供述を変更した(「同日は午後七時ころ被告人の父親の工場での仕事を終え、被告人の父は本件自動車に乗り右工場から山中ゴルフセンターに赴き、被告人は軽四輪貨物自動車に母を乗せ自宅に帰り、帰宅後山中温泉の総湯に行った以外には、ずっと自宅にいた」という供述を始めた)が、同日午後六時ころ山中ゴルフセンターに来た甲野一夫(被告人の父親)から『被告人が本件自動車を使っているから、貴方の車に乗せて呉れ』と頼まれ、同日午後一〇時ころ右ゴルフセンターから甲野一夫を自分の車に同乗させた」と証言する証人が現われた(右ゴルフセンターの伝票綴り等《名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号七と同号の二の符号三七》によると、右証人と被告人の父親とが同日右ゴルフセンターで練習等をしていたことが明らかである)。

(八) 被告人の身分秘匿

被告人は、かねてから宮川と知り合いの間柄であったが、同人に対しては被告人自身の名前を秘匿しており、二郎が宮川から借金した際に右借金の斡旋をしたときにも、宮川に対し、「宮本」という偽名を告げ、その後、宮川からの借金のため二郎と共に宮川方居宅前まで赴いた際にも、自分だけ外で待機し、また、Aに右借金の保証を依頼するためA方居宅を訪問した際にもAの母親から被告人の住所を尋ねられたときに、山代に住んでいると嘘をついていたのであり、こうして、Aの母親や宮川に対しては、被告人の身分を隠していた。

2  二郎供述の不可欠性

(一) 本論

原判決は、「被告人は、二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう」と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませたが、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼し、Aの承諾を得たところ、宮川に対しては『宮本』という偽名を使用していたので、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておけば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽し得る』と考え、Aの殺害を決意し、二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、この共謀に基づき、本件現場で停車中の本件自動車の後部座席にいたAを被告人所携の本件ナイフで突き刺し、更に、車外の地面に倒れているAの頭部を本件凶器で殴打して、Aを殺害し、その後、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄した」と認定判示しているところ、かかる事実を認定することができるか否かについて、右1の各事実関係を前提として、殺人原審証拠と殺人当審証拠とに基づいて検討を進めることとするが、A殺害と被告人とを結びつけるための決め手たり得る証拠、すなわち、他の目撃証言や物的証拠や被告人の自供(この自供が任意性と信用性とを具備していなければならないことは、もちろんである)のない殺人事件においては、二郎供述がなければ、右1の各事実関係だけから「被告人が二郎との間でA殺害を共謀し、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄した」という事実を推認することは、不可能である。換言すれば、殺人事件では、被告人は捜査段階から一貫して犯行を否認し、また、二郎供述の他には目撃者とか共犯者とかの供述は見当たらず、更に、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討しても、本件自動車の内部と被告人の父親の工場の備品(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号三〇及び三一の諸道具は右備品の一部)と被告人の着衣等(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号八のズボン、同号の二の符号二七のキーホルダー等)とにAの血痕が付着していたということを、二郎供述以外の証拠より、認定することが不可能である(本件自動車の前記シートカヴァー《名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号二五》とその上の前記座席シート《同号の二の符号二六》とにAの血痕が残っているか否かという問題は、後述する)から、結局、殺人原審証拠と殺人当審証拠とから二郎供述を除いたものだけでは、「被告人が二郎との間でA殺害について共謀を成立させたうえ、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえ、Aの死体を遺棄した」という事実を、確信をもって認定することは不可能である。

なお、検察官は「原判決認定判示の前記事実が認定できることの根拠として、被告人が『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企てていたものである」と主張するけれども、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討してみても、前記第二の強盗致死の行為の直前までは被告人がかかる計画をまだ立ててはいなかったかもしれないという合理的疑惑を払拭し得ない(したがって、Aが行方不明になった時点以前において被告人がかかる計画を立てていたことを認定し得ない)のみならず、仮に、Aが行方不明になった時点で被告人がかかる計画を立てていたことを認定し得るとしても、二郎供述がなければ、右1の各事実関係だけから「被告人が二郎との間でA殺害を共謀し、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄した」という事実を推認することが不可能であることに変わりはない。

(二) 強盗事件との対比

なお、差戻判決は、「被告人が二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄したのではないか」という疑惑を濃厚ならしめる根拠の一として、「二郎供述のようなA殺害方法(人気のない林道で小刀で突き刺すという方法)は強盗事件の犯行と類似している」ということを掲げており、確かに「強盗事件が、人気のない林道で小刀で突き刺すという方法で実行された」ということは、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによって明らかなところである。しかし、そもそも、殺人行為なるものは、屋外の、かつ、人気のない場所で行われるのが通常であり、また、Aや二郎や被告人の住居の近辺は人気のない林道の通っている山ばかりであるから、其処で小刀で突き刺して殺人を実行するということが、「被告人が二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、右共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄したのではないか」という疑惑を濃厚ならしめる方向に作用するものと考えるのは早計といわなければならない。しかも、二郎供述においては、一貫して「被告人と二郎との二人で夜中に本件凶器や本件ナイフを使ってAの殺害を実行しようという計画が前もって樹立されていた」と述べられているけれども、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによれば、強盗事件は、被告人が一人だけで、まだ明るい夕方に、突然、無計画的とも思われる形で、本件小刀だけを使って実行されたこと、したがって、強盗事件と殺人事件との間には類似点が殆どなきに等しいことが明らかであるから、強盗事件と殺人事件との対比は、むしろ逆に、「『被告人が二郎との間でA殺害について共謀を成立させたうえ、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄した』というような事実はないかもしれない」という合理的疑惑を濃厚ならしめる方向に作用するものといえよう。

3  二郎供述

二郎は、二郎原審供述で、(原審共同被告人として)原裁判所に対して、また、三重刑務所で(証人として)第一次控訴審裁判所や第一控訴審受命裁判官に対して、更に、当審公判廷で(証人として)当裁判所に対して、一貫して『A殺害は、被告人と二郎とが共謀して敢行したことであり、この共謀は『被告人が本件ナイフでAを攻撃し、二郎が本件凶器でAを攻撃する』という内容のものであり、また、この実行行為は『二郎がAと共に昭和四七年五月一一日の夜、被告人運転の本件自動車に乗って前記県道伊切山中線を進行中、本件自動車は本件分岐点で左折して南又林道に入り本件現場に到着し、被告人が、本件現場で停車中の本件自動車内でAの腹部を本件ナイフで突き刺したうえ、Aの胸倉を掴んで車外に引きずり出し、本件自動車の後部の方へ逃げたAを追い掛けて本件ナイフでAに攻撃を加えた後、Aが南又林道の地面に仰向けに倒れたので、被告人は、本件自動車に戻り、同日被告人の父親の工場から持ち出して本件自動車のトランクに積み込んであった本件凶器を右トランクから取り出すよう二郎に命じ、これに応じて二郎が右トランクから取り出した本件凶器を二郎の手から受け取り、南又林道の地面に仰向けに倒れているAの足元あるいは胴の横の方に立ったまま、Aの頭部を本件凶器で殴打する』という形でなされ、その後、被告人と二郎とが共謀して、Aの死体を本件現場の付近の川の中に遺棄し、本件凶器は、被告人が洗浄して格納した」と供述していることが一件記録により明らかである。

4  二郎供述の信用性

原判決は、「二郎原審供述は信用できる」という判断の下に、二郎原審供述を根拠として、「被告人は、『二郎をして金融業者宮川から借金をさせたうえ、二郎を殺害して右借用金を強取しよう』と企て、二郎を宮川に引き合わせて三〇万円の借入れを申し込ませたところ、宮川から保証人を立てることを要求されたので、Aに対し、『二郎の借金の保証人になって貰いたい』と依頼し、Aの承諾を得たところ、宮川に対しては『宮本』という偽名を使用していたことから、『二郎殺害の前にあらかじめAを殺害しておきさえすれば、二郎殺害と二郎からの金員強取という被告人の犯行を隠蔽することができる』と考えて、Aの殺害を決意し、二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえで、Aの死体を遺棄した」と認定判示しているところ、かかる事実を認定することができるか否かについて、右1から3までの検討を前提として、殺人原審証拠と殺人当審証拠とに基づいて検討を進めることとするが、前記1の各事実関係は、一面において、二郎供述の信用性を補強する方向に作用する力を持つといい得るものである(前記1の(七)の事実が二郎供述の信用性増強事由に当たることに疑問の余地はない)けれども、それだけを根拠として、二郎供述の信用性を肯定することはできない(この点は、差戻判決が指摘しているとおりである)。そこで、二郎供述が信用できるか否かについて検討することとする。

(一) 二郎供述中におけるA頭部殴打の打撃力及び打撃作用方向について

被告人が本件現場付近において本件凶器でAの頭部を殴打した状況について二郎供述の中に「南又林道の地面に仰向けに倒れているAの足元又は胴の横の方に立った被告人が、Aに止めを刺すため、振り上げた本件凶器をAの頭部目掛けて振り下ろすという形で、一回だけAの頭部を殴打した」という供述が存在し、Aの死体の頭蓋冠(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号四〇)には陥没骨折が存在している。

この点について、差戻判決は「二郎供述のような方向からの殴打では右陥没骨折は形成されないものと考えられる」ということと「二郎供述のような態様での殴打だと、右陥没骨折のような軽微な骨折ではなく、激しい骨折が形成されるものと考えられる」ということを根拠として、二郎供述中の右部分の信用性に疑問を投げ掛けている。

(1) 二郎の目撃の際の明暗状態について

ところで、二郎供述中の「南又林道の地面に仰向けに倒れているAの足元又は胴の横の方に立った被告人が、Aに止めを刺すため、振り上げた本件凶器をAの頭部目掛けて振り下ろすという形で、一回だけAの頭部を殴打した」という供述は、昭和四七年五月一一日午後九時ころ本件現場に停車中の本件自動車の室内照明灯しか光のない(車体後部の灯火が点灯していたか否かは記憶がない)場所で本件自動車のすぐ後ろにいた二郎が目撃した被告人…本件自動車の後方約一〇メートルの地点にいた被告人…の行動に関する供述であり、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、昭和四七年五月一一日午後九時ころの本件現場が快晴ではあったものの月のない(月齢二七・三日で月入一六時三九分ころ)闇夜であったことが明らかであるから、目撃者、すなわち、二郎の認識の正確性(客観物事実との一致)が疑わしいだけでなく、二郎の右供述によると「起立中の加害者が、かなり長い柄の本件凶器を振りかざし、それを地上に倒れているAの頭部目掛けて振り下ろした」というのであるから、これが正確にAの頭部を直撃したのか否かさえも疑わしい(打撃の正確性)。のみならず、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、Aの死体の頭蓋骨に残されている陥没骨折は、凶器が本件凶器のような形状のものである場合には、凶器の刃ではなく峰によって形成されたことが明らかであり、殺人原審証拠と殺人当審証拠との中には右認定に反する証拠はないから、差戻判決指摘の「止めを刺そうとしての一回殴打」であるにしては、凶器の使い方という点からしても疑問が生ずる。仮に、本件凶器の刃を下に向けて本件凶器を振り下ろしたとすれば、狙いが外れて地面に当たった本件凶器の峰が反動で被害者の頭部に当たったという可能性も否定できない。

(2) 打撃の強さについて

<1> 木村意見書

ア 差戻判決の説示

差戻判決は、第一次控訴審で取り調べられた木村康作成にかかる「被告人甲野一郎に対する殺人等被告事件に関する被害者頭蓋骨骨折の成因についての照会に対する回答」と題する書面(以下「木村意見書」という)により「真上まで振り上げた重さ一・六キログラムのハンマーを(これに力を加えずに)頭部に落とした場合には頭蓋骨亀裂骨折が生ずる程度に止まるが、頭部を殴打する際の初速度が大きければ高度の骨折が生ずる」という事実を肯定し、これを根拠として、「二郎供述のように、本件凶器でAの頭部を(止めを刺すため一回だけ)殴打したとすれば、Aの死体の頭蓋骨を残存している陥没骨折よりも高度の骨折が残されていなければならないはずである」とし、このことを、二郎供述中の右供述部分の信用性を否定する根拠の一として掲げている。

イ 弾劾証拠

しかし、木村意見書は、三木敏行作成の鑑定書と証人三木敏行の第一次控訴審裁判所に対する供述調書とに対する弾劾証拠として刑事訴訟法三二八条により採用され取り調べられたものに過ぎないことが一件記録上明らかであり、したがって、「真上まで振り上げた重さ一・六キログラムのハンマーを(これに力を加えずに)頭部に落とした場合には、頭蓋骨亀裂骨折が生ずる程度に止まるが、頭部を殴打する際の初速度が大きければ、高度の骨折が生ずる」という事実を木村意見書に基づいて肯定したり、二郎供述の信用性を木村意見書により(直接)減殺したりすることは、許されない道理であり、せいぜい、木村意見書により、三木敏行作成の鑑定書と証人三木敏行の第一次控訴審裁判所に対する供述調書との証明力が減殺され、その結果、二郎供述の一部(三木敏行作成の鑑定書と証人三木敏行の第一次控訴審裁判所に対する供述調書との《減殺前の》証明力により補強されている部分)の証拠価値が低下するといい得るだけに過ぎない。

ウ 第一次控訴審における手続違反

更に、木村意見書は、木村康が作成した書面であるから、刑事訴訟法三二八条の解釈に当たり非限定説の最もゆるやかな見解に与するとしても、三木敏行作成の鑑定書と証人三木敏行の第一次控訴審裁判所に対する供述調書との証明力(木村康以外の者の鑑定の証明力)を争うための証拠(同条)にはなり得ないとするのが、通説であり(同条所定の証拠は自己矛盾供述に限るという見解を採れば、なおさら、然りである)、したがって、第一次控訴審裁判所が木村意見書を三木敏行作成の鑑定書と証人三木敏行の第一次控訴審裁判所に対する供述調書とに対する弾劾証拠(同条所定の証拠)として採用して取り調べたのは、訴訟手続の法令違反に該当するというべきである。

エ 当裁判所の措置

そこで、当審においては、第一次控訴審で取り調べられた各証拠の取調手続では、刑事訴訟規則二一三条の二第三号但書を適用し、木村意見書の取調べを行わず、その後、弁護人が木村意見書の証拠調を請求し、これに対して検察官が刑事訴訟法三二六条の同意をしたので、当裁判所は木村意見書の取調べをした。

<2> 当裁判所の判断

二郎供述の中に「被告人が、振り上げた本件凶器をAの頭部目掛けて振り下ろすという形で、一回だけAの頭部を殴打したのを、二郎が目撃した」という供述部分があるが、右供述のような殴打の際の打撃の強さ(Aの頭部に対する衝撃力)の問題を検討するに、差戻判決中には「二郎供述のように、本件凶器でAの頭部を(止めを刺すため一回だけ)殴打したとすれば、その殴打によって加えられる衝撃力が甚大だったはずであるから、Aの死体の頭蓋骨に残存している陥没骨折よりも高度の骨折が残っていなければならない」という説示があるが、「真上まで振り上げた重さ一・六キログラムのハンマーを(これに力を加えずに)頭部に落とした場合には頭蓋骨亀裂骨折が生ずる程度に止まるが、頭部を殴打する際の初速度が大きければ高度の骨折が生ずる」という記載のある木村意見書を作成した木村康自身も、当審公判廷における証言の中で「木村意見書で示した見解は、剥き出しにされている頭蓋骨をハンマーで殴打した際のことで、生きた人間の頭髪や頭皮で覆われている頭部の殴打によって、Aの頭蓋骨に存在する程度の陥没骨折しか生ぜしめないためには、衝撃力を、どの程度まで抑えていなければならないかは不明である」と供述しているし、永野耐造作成の平成二年三月九日付鑑定書と証人永野耐造の当審公判廷における供述と同三木敏行の当審公判廷における供述と溝井泰彦作成の平成二年四月三〇日付鑑定書と証人溝井泰彦の当審公判廷における供述とによれば、生きた人間の(すなわち、頭髪や頭皮で覆われている)頭部を殴打した場合には、仮に本件凶器を振り下ろす力が相当強力であっても、事情により、Aの頭蓋骨に存在する程度の陥没骨折しか形成され得ないことも考えられないでもないと判断される。殺人原審証拠と殺人当審証拠とのうち右判断に反する部分は信用できない。

(3) 打撃力の作用方向について

次に二郎供述の中に「地面に仰向けに倒れているAの足元あるいは胴の横の方に立っていた被告人が、振り上げた本件凶器をAの頭部目掛けて振り下ろすという形で、Aの頭部を殴打したのを、二郎が、目撃した」という供述部分があるが、「右供述のような殴打によって、Aの頭蓋骨に残されているような陥没骨折ができるか」という問題について検討する。差戻判決は、三木敏行作成の鑑定書と証人三木敏行の第一次控訴審裁判所に対する供述調書とを根拠として「Aの頭蓋骨右側の陥没骨折は、仰向けに倒れているAの足元又は胴の横の方からではなく、逆に頭の方から殴打しないと形成されないものと考えられる」ということを、二郎供述の信用性を否定する根拠の一としている。しかし、永野耐造作成の平成二年三月九日付鑑定書と証人永野耐造の当審公判廷における供述と同三木敏行の当審公判廷における供述と溝井泰彦作成の平成二年四月三〇日付鑑定書と証人溝井泰彦の当審公判廷における供述とによれば、地面に仰向けに倒れている被害者の頭の方からではなく右被害者の胴(広い意味での身体)の横の方から攻撃した場合でも、事情により、Aの頭蓋骨右側の陥没骨折のような骨折が形成されることも考えられないでもない(もっとも、加害者が被害者の右の方に位置しているか左の方に位置しているかによって、この問題についての結論が異なるが、二郎供述においては、加害者が被害者の右の方にいるか左の方に位置しているかという点が必ずしも明確ではない。すなわち、左右の問題についての二郎の供述は、被害者の立場での左右なのか、加害者の立場での左右なのか、目撃者の立場で左右なのかが、混然としている)と判断されるから、二郎供述の中で述べられているような位置関係に関する問題(「地面に仰向けに倒れているAの足元あるいは胴の横の方に立っている被告人が本件凶器でAの頭部を殴打したことによって、Aの頭蓋骨に残されているような陥没骨折ができるか」という問題)についても、本件凶器の作用方向から考えて、これを否定的又は懐疑的に片づけることは早計である。殺人原審証拠と殺人当審証拠とのうち右判断に反する部分は信用できない。

(4) 総括

しかし、いずれにせよ、二郎が目撃したという被告人の動作でなければ以上の陥没骨折は絶対に生じ得ないということ、更に、二郎が目撃したという被告人の動作により以上の陥没骨折が必ず生ずるはずであるということは、殺人原審証拠と殺人当審証拠によっても、未だ不明確であるから、被告人の右動作によっても右陥没骨折が生ずることもあり得るとしても、これだけでは、二郎供述の信用性は増強も減殺もされないと判断される。したがって、以上の二郎供述の信用性の問題は、Aの死体の頭蓋冠の陥没骨折との整合性の面からではなく、他の面からの吟味が必要である。

(二) 死体遺棄について

差戻判決は、「二郎供述中の『二郎と被告人とがAの死体を抱えて本件現場付近の谷川の橋の上から落とした後、川の中に入り、被告人が死体を橋の下に引きずり込み、二郎がいくつかの石を手渡すと、被告人がそれらを死体の周囲に置き、木株で覆った』という供述は、犯行当日の月齢が二七・三日であったことに照らすと、犯行時刻ころに月は出ておらず、付近は星明かりのみの暗さであったと考えられるところ、原裁判所の検証の結果によれば、二郎の供述するように本件現場に停車させた本件自動車の室内照明灯を点灯しても、死体遺棄の現場である橋の下は流水面部も内部の状況も暗くて認識できないような暗闇だというのであるから、二郎の供述するような行動ができたか疑わしく、少なくとも二郎が被告人の行動を確認できたとはとても考えられない」という理由で、二郎の右供述の信用性を疑問視している。しかし、当裁判所が月齢二七・九日(月入一七時四四分ころ)の日の午後九時ころ右死体遺棄現場を検証した結果によると、実際に川の中に入ってみれば、相手の姿は見えないけれども、相手の声や移動の際の音などにより、互いに相手の挙措動作を察知することも充分可能であることが認められ、したがって、差戻判決が掲げるような理由のみでは、二郎の右供述はなんら減殺も増強もされ得ないと判断され、そうすると、以上の二郎供述の信用性の問題については、他の面からの吟味検討が必要である。

(三) 強盗事件との対比

差戻判決は、二郎原審供述と二郎が三重刑務所で第一次控訴審裁判所や第一次控訴審受命裁判官に対してした証言との信用性を補強するものの一として、「二郎供述のようなA殺害方法(人気のない林道で小刀で突き刺すという方法)は強盗事件の犯行と類似している」ということを掲げ、確かに「強盗事件が、人気のない林道で小刀で突き刺すという方法で実行された」ということは、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによって明らかなところである。しかし、そもそも、殺人行為なるものは、屋外の、かつ、人気のない場所で行われるのが通常であり、また、Aや二郎や被告人の住居の近辺は人気のない林道の通っている山ばかりであるから、其処で小刀で突き刺して殺人を実行するということが、「被告人が二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、右共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえ、Aの死体を遺棄した」という二郎供述の信用性を補強する方向に作用するものとは考えるのは、早計といわなければならないであろう。しかも、二郎供述においては、一貫して「被告人と二郎との二人で夜中に本件凶器や本件ナイフを使ってAの殺害を実行しようという計画が前もって樹立されていた」と述べられているけれども、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによれば、強盗事件は、被告人が一人だけで、まだ明るい夕方に、突然、無計画的とも思われる形で、本件小刀だけを使って実行されたこと、それ故、強盗事件と殺人事件との間には類似点が殆どなきに等しいことが明らかであるから、強盗事件と殺人事件との対比は、むしろ逆に、「被告人が二郎との間でA殺害について共謀を成立させ、この共謀に基づきAを殺害し、更に、二郎と共謀のうえ、Aの死体を遺棄した」という二郎供述の信用性を減殺する方向に作用するものといえよう。

(四) 二郎供述中「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述部分について

確かに二郎供述の中には「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述部分があるけれども、右供述部分の信用性については以下の問題点がある。

(1) 自己矛盾供述の存在

二郎原審供述中にさえも「被告人が本件凶器を持って行ったので『被告人が二郎を殴ったのではないか』という二郎の想像を供述しただけである」という供述部分があり、更に、二郎供述それ自体の他の箇所には「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃したのではなく、被告人が本件自動車の中でAを刺してから、Aと被告人とが車外に出た後に、二郎が本件凶器を被告人に手渡したけれども、その後は、二郎は、本件自動車の後部の付近(Aと被告人との両名から約一〇メートルも離れた地点)に立っていたが、被告人が本件凶器でAを殴打するのを、二郎は見ていなかった」という供述もあり、また、「二郎は、被告人が本件現場で本件凶器でAの頭部を殴打するのを目撃した」という供述は、原審共同被告人としての供述(すなわち、偽証の制裁もない段階での供述)や二郎の当審公判廷における証言(すなわち、事件後一八年になんなんとする時期で記憶の薄れた時期における証言)であるのに対し、「被告人が本件凶器でAを殴打するのを、二郎は、見ていなかった」という供述は、第一次控訴審における証言であり、このような事情にかんがみると、二郎供述中の「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述の証拠価値は、著しく低いといわざるを得ない。なを、二郎は、当審公判廷における証言の中で、「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述を維持しているけれども、右証言の中において「二郎が第一次控訴審において(三重刑務所の中で)証言したこと、それ自体も記憶がない」と述べている点にかんがみると、二郎の当審公判廷における証言の中の「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述部分は、これを鵜呑みにできない。

(2) 明暗状態

二郎供述中の「被告人が本件凶器でAの頭部を殴打するのを二郎が目撃した」という供述部分は、昭和四七年五月一一日午後九時ころ本件現場に停車中の本件自動車の室内照明灯しか光のない(車体後部の灯火が点灯していたか否かは記憶がない)場所で本件自動車のすぐ後ろにいた二郎が目撃した被告人…本件自動車の後方約一〇メートルの地点にいた被告人…の行動に関する供述であり、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、昭和四七年五月一一日午後九時ころの本件現場は快晴であるものの月のない(月齢二七・三日で月入一六時三九分ころ)闇夜であったことが明らかである。しかし、二郎供述に所謂A殺害当夜とほぼ同じ月齢(月齢二七・九日で月入一七時四四分ころ)の夜(しかも快晴の夜)の午後九時ころにした当裁判所の本件現場の検証の結果によるならば、本件現場に停車中の本件自動車の室内照明灯しか光のない場所で本件自動車のすぐ後ろにいて、本件自動車の後方約一〇メートルの地点にいる人物が南又林道上に倒れている人物の頭部を本件凶器類似の物体で殴打している状況を視認しようとしても、暗闇に暫く目を慣らした後でも、いくら凝視しても、二郎供述で述べられているような状況、すなわち、二郎供述にいわゆる「被告人の殴打行為」を視認することが不可能であったから、二郎供述にいわゆるA殺害の際(以上のような暗闇の中で)二郎が被告人のA殺害行為を現認し得たとするには大いに疑問の余地があり、したがって、二郎供述中の「二郎が被告人のA殴打行為を目撃した」という部分の信用性を肯定することも、また、不可能であるといわざるを得ない(この点について、原裁判所作成の昭和四八年六月八日付検証調書《同年五月三〇日夜施行》には、本文記載の視認が可能であると記載されているけれども、右検証の際と当裁判所の右検証の際との状況の差《立木の成育状況等》を考慮に入れても、当裁判所としては右記載の信憑性に疑問を抱かざるを得ない)。

(五) 二郎供述中の「被告人が本件自動車の後部座席に座っていたAの脇腹を本件ナイフで突き刺すのを二郎が目撃したし、また、そのため、本件自動車の後部座席のビニールシートカヴァーやその上に敷いてあった座席シートや被告人の着衣にAの血が付着したのを二郎が目撃した」との供述部分の信用性について

(1) Aの血痕等

殺人原審証拠と殺人当審証拠とによれば、Aの遺体の付近で発見されたAの着衣と腹巻(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号一五から一八まで)との脇腹部分には、ナイフで突き刺された痕跡が見当たらない。また、二郎供述は「当時本件自動車の後部座席がビニールシートカヴァー(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号二五)で覆われ、このビニールシートカヴァーの上には座席シート(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号二六・ループ状の突起に覆われているシート)が置いてあったし、更に、その当時の被告人の着衣(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号八)にAの血が付着したし、A殺害後に血の付いた本件凶器を本件自動車のトランクの中に入れた」と述べているけれども、本件自動車の座席シートと本件自動車のトランクの中にあったタオルとには(専門家の鑑定によっても)いずれも人血付着の痕跡が見当たらないことが明らかである。かかる事柄にかんがみると、二郎供述中の右供述部分は、その後に右座席シートが濡れた布で丹念に拭き清められたり右タオルや被告人の着衣が洗濯されたりしたかもしれないという事情を考慮に入れても、にわかに信用できない。

(2) ビニールシートカヴァーについて

そして、本件自動車のビニールシートカヴァーについて、証人中島正雄及び同川畠喜久雄の原審公判廷における各供述と中島正雄作成の昭和四七年七月二八日付血液予備試験結果報告書及び同年八月一一日付鑑定書と証人石津日出雄の当審公判廷における供述と石津日出雄作成の平成二年三月一六日付鑑定書と石津日出雄作成の平成二年四月二六日付鑑定書とによると、右ビニールシートカヴァーに人血付着の痕跡があることが認められる(ただし蚊を叩いても人血付着の生ずることがあり得る)が、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討しても、右ビニールシートカヴァーに付着していた人血がAの血であるという事実までは、これを認めることができず(殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、Aの血液型はA型であることと、右ビニールシートカヴァーの人血付着部位はAB型と判定される血液型反応《抗A、抗B及び抗Hの各抗体に対する反応》を示しただけであることと、本件自動車の使用者であった甲野一夫《被告人の父》の血液型はAB型であることが明らかである)、しかも、二郎供述によると「Aが刺されたとき、右ビニールシートカヴァーの上に敷いてあった」ということになっている前記座席シートには人血付着の痕跡が見当たらないという前記認定事実に照らすと(Aが刺されたとき、右座席シートは外されていたとでもいうならば格別)「本件自動車の後部座席のビニールシートカヴァーやその上に敷いてあった座席シートや被告人の着衣にAの血が付着したのを二郎が目撃した」という二郎供述、更に、「本件自動車の後部座席に座っていたAの左脇腹を被告人が本件ナイフで刺したのを二郎が目撃した」という二郎供述の信用性は、依然として低いと判断される。

(六) 二郎供述の中のA殺害の共謀に関する部分の信用性について

(1) 二郎供述の中の共謀の日時場所に関する部分の信用性について

<1> 差戻判決の指摘

二郎供述中に「Aが保証人になることを承諾した五月七日の夜に被告人が二郎に、Aと宮川との殺害の話を持ち掛けた」という供述部分があり、この信用性について、差戻判決は「Aが印鑑登録を申請し印鑑証明書の交付を受けて右証明書を二郎に手渡したのは五月八日であるし、宮川からの借金のための約束手形用紙を二郎が入手したのは五月一〇日であって、宮川からの借金のための条件(印鑑証明書と手形用紙との入手)が未だ不確実な時点である五月七日の夜に被告人が二郎にAと宮川との殺害の話を持ち掛けたというのは、不自然といわなければならない」と説示し「二郎の右供述部分は、不自然、不合理で、常識上にわかに首肯し難い」としている。

<2> 当裁判所の見解

しかし、甲が乙を保証人として丙から借金しようとしているのを熟知している丁が(乙がこの保証人となることを承諾するという条件が満たされ、ただ、右保証のための印鑑証明書を乙が未だ入手しておらず、甲も右借金のための手形用紙を未だ入手していないという場合、すなわち、それを満たすことの比較的容易な条件だけが満たされていない時点において)甲に乙と丙との殺害の話を持ち掛けるというような事態、換言すれば、犯罪による利益獲得のための条件(しかも、それが満たされることが相当確実に予想されるような条件)が未だ満たされていない段階で「当該条件が満たされたときには、右利益獲得のため当該犯罪を実行しよう」という共謀を成立させるという事態は、予め周到に企画された犯罪において、日常茶飯事として頻繁に見受けられるところであり、以上の場合に比べて、犯罪による利益獲得(又は、被害者への攻撃開始)のための条件が満たされる可能性がもっと低い場合、例えば、「被害者が押し掛け、又は、喧嘩となるなどの事態になれば被害者を殺害するもやむを得ない」として被害者殺害の謀議をした場合における共謀の成立が肯定されたような事例は多々存在し(最高裁判所昭和五六年一二月二一日第一小法廷決定≪最高裁判所刑事判例集三五巻九号九一一頁以下≫等)、かような共謀がなされた旨の証言を不自然、不合理で、常識上にわかに首肯し難いとした事例は余り見当たらない。もし、これを不自然、不合理というのであるならば、強姦罪や強盗罪や殺人罪(例えば「身代金取得目的の誘拐で身代金取得に失敗したときには被誘拐者を殺してしまおう」という相談が、誘拐行為が未だ着手されていない段階で成立した場合)における共謀成立の相当部分は、これを肯定することができなくなるといわざるを得ないであろう。

<3> 共謀の日時場所に関する二郎供述の自己矛盾性

しかし、二郎供述の中には「A殺害について二郎と被告人との間で相談したのは、Aが保証人になるのを承諾してから後のことである」という供述部分の他に「A殺害について二郎と被告人との間で相談したのは、Aが保証人になるのを未だ承諾していないときであった」という供述部分もあり、また、二郎供述の中の二郎と被告人との間でA殺害の相談がなされた日時や場所に関する供述部分は、二郎の捜査官に対する各供述調書(二郎供述に対する刑事訴訟法第三二八条の弾劾証拠)と矛盾し、また、二郎供述それ自体の中でも矛盾撞着が多々見受けられるから、その証拠価値は著しく低いといわざるを得ない。

(2) 二郎供述の中の共謀の存在に関する部分の信用性について

<1> 被殺害者に関する二郎供述の自己矛盾性

二郎供述中には「被告人が二郎に、Aと宮川との殺害の計画を持ち掛け、二郎が、これを了承した」という供述部分があるが、右供述部分は「最初からAと宮川との両名の殺害の計画を同時に打ち明けられた」という供述部分と「最初は、先ず、Aだけの殺害の話を持ち掛けられ、その後、宮川の殺害の話を持ち掛けられた」という供述部分とに分かれている(かように供述が一貫していない点からしても、二郎供述は信用できないといえよう)。

<2> 二郎供述による「殺害計画を打ち明けられたときの状況」等

前記(1)と前記(2)の<1>との事柄を踏まえて、二郎供述中の「被告人が二郎に、Aと宮川との殺害の計画を持ち掛け、二郎が、これを了承した」という供述部分の信用性を検討するに、二郎供述によれば、右殺害計画を打ち明けられたときの状況等に関する事実関係は、以下のとおりである。

ア 意外性

二郎は、被告人からA殺害、又は、Aと宮川との両名の殺害の計画を被告人から聞くまでは、A、又は、Aと宮川との両名を殺そうというようなことは夢にも思っていなかったところ、突然被告人から、かかる計画を聞かされた。

イ 二郎の反応

これに対して、二郎は、驚愕も興奮もせず、右計画につき被告人を制止することもなく、被告人が何故かかる計画を立てたのかという理由を、被告人に問いただしもせず、二郎自身で考えることもせずに(したがって、被告人が二郎から金品を奪うつもりではあるまいかというようなことも全く考えずに)、被告人のいうままに、右計画に賛同した。

ウ 被告人とのやりとり

右計画の実行の是非については、被告人と二郎との間でやりとりもなく、被告人が話を切り出してから三〇分位の短時間内に、自動車の中で、話が交わされただけであった。

エ 右計画の実行の方法

右計画の実行の方法については、「被告人が本件ナイフで、二郎が本件凶器で、Aを攻撃する」ということの他には、A殺害実行の時点まで、二郎と被告人との間に何も取り決められず、A殺害の日時場所や宮川殺害の方法及び日時場所についても、被告人と二郎との間で、話が全くなかった。

オ A殺害について

A殺害についても、殺害のため被告人がAの体を本件ナイフで刺した時点までには、A殺害を何時何処で開始するかということを二郎は全然聞かされていなかった。

カ 本件凶器の使用

Aが被告人から本件ナイフで刺されたため地面に倒れた後、被告人が、A殺害の当初の計画を無視して二郎に「本件凶器を被告人に寄越せ」と迫り、二郎は、いわれるまま、無言で、被告人に本件凶器を手渡したが、そのとき、二郎は大金を身に付け、一方、Aは大金を携帯しておらず、このことを被告人も知っていた。

<3> 二郎の知能水準等

ア 二郎の知能水準

殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、以下の事実が認められる。

人を殺すというような大それた計画に二郎が加担するのは、A殺害のときが初めてであり、しかも、二郎は、二郎に対する好意から宮川からの前記借金の保証人になることを承諾したAや、同じく二郎に対する好意から二郎に二〇万円余もの金員を融通してくれた宮川に対し、感謝の念を抱きこそすれ、Aや宮川に意趣を含む筋合いが何もなかった。そして、二郎の知能水準は、一一歳の児童の程度で、正常者との境界線に近い精神薄弱(軽愚)であり、前後関係からの類推や判断をなす能力が著しく低く、抽象的概念の内容が非常に貧困である。

イ 二郎の精神状態

しかしながら、反面、二郎の精神状態について考察するに、二郎が「殺人ということは、人倫に反する極悪非道の行為で、人殺しが発覚すれば、その犯人が厳罰に処せられるものであり、それ故、殺人行為に関与するには、それ相応の利益や理由があるはずである」ということすら充分に弁えてはいなかった者であるというようなことは、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討してみても、到底認められない。のみならず、原判決は「二郎が以上のような分別を持ち合わせてはいなかったかもしれない」という合理的疑惑すら克服して、原判決中、二郎に対する部分(Aの殺害とAの死体の遺棄とに二郎が被告人の共犯者として加担したという公訴事実に関する部分)で、二郎が心神喪失者でも心神耗弱者でもなかったという判断の下に二郎を処断しており、原判決の右判断は、被告人に対する関係でも、殺人原審証拠と殺人当審証拠とにより是認することができる。

<4> 二郎供述の不自然性

以上<1>から<3>までの事柄を前提として検討してみるに、二郎供述のとおりであるとするならば、被告人からAと宮川との殺害の話を持ち掛けられるという異常事態に直面した二郎としては、驚愕し、興奮し、更に、被告人との間で、かかる殺害計画、しかも、二名もの罪のない人間の殺害の計画を立てた理由とか右計画の実行の是非とかについてのやりとり(ときには、右計画の放擲の勧告)や、かかる計画の実行の時期や場所や方法(殊に、被告人と二郎との間の仕事の分担)について相当綿密な打合せに入らなければならない道理である。しかし、二郎供述によると、二郎が以上のような驚愕・興奮状態に陥ったり、以上のようなやりとりや打合わせをしたりしたことは(被告人が本件ナイフで刺し二郎が本件凶器で殴るという打合せの他には)全くなく、二郎は被告人から前記計画を持ち掛けられた際に極めて短時間内に(しかも躊躇逡巡の一切ないまま)直ちに右計画に賛同したというのであって、かような二郎供述が信用に値するものとは、到底考えられない。

<5> 被告人の利益

のみならず、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討しても、被告人がAや宮川の殺害を二郎と協力して敢行することによって被告人自身が利益を受けることとなるような事情は、二郎が宮川から借り受けた金を二郎から強奪するという計画の実現に支障のある人物を、あらかじめ、抹殺しておくということの他には、見当たらない。そして、原判決は「被告人が、かかる計画の下に、Aや宮川の殺害を二郎と共謀した」と認定しているけれども、更に、被告人は結局のところ、前記第二のとおり、二郎に対する強盗致死行為に出たけれども、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討しても、右強盗致死の行為の直前までは、かかる計画を被告人は、まだ、立ててはいなかったかもしれないという合理的疑惑を払拭し得ない。また、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討しても、殺人というような大事に加担してまでも、二郎の利益(しかも、せいぜい三〇万円位の借金の返済をしなくても済むというような利益)を図ってやらなければならない程、被告人が二郎に入れ込んでいたような事情は、何も見当たらない。してみると、被告人からAと宮川との殺害の計画を打ち明けられたという二郎供述が真実であるとするならば、そのとき、二郎としては「二郎が宮川から借り受けた金を二郎から強奪するという計画を被告人が抱いているかもしれない」という疑惑を抱くのが自然であろうが、二郎供述によると、二郎がかかる疑惑を抱いたことはないのである(なお、二郎が被告人のかかる計画を知っていたとすれば、二郎がAや宮川の殺害に加担するはずがない)。しからば、二郎としては、被告人が何故かような計画を立てたのかという疑問を抱くのが自然であるし、また、二郎供述のとおり「宮川からの借金の返済をしなくても済むようにするためAを殺害する」という話であるならば、「前記1の(二)のとおり、二郎の三〇万円位の借金の件を知っている呉藤文雄をも、あらかじめ抹殺しておかなければならないはずであるにもかかわらず、何故Aだけを殺害するのみで良いのか(或いは、いつかは呉藤文雄をも殺害するのか)」という疑問を二郎が抱くのが自然である。しかし、二郎供述の中には、以上の二個の疑問に触れた点は一切なく、ただ、「被告人の言うとおりにしておけば良いと思っていた」と述べるに止まり、二郎が如何に判断力の低い人間であるにせよ、かような二郎供述は、不自然、不合理である。

(七) 二郎供述の、その他の不合理性

(1) 二郎供述による「本件現場への誘導」

二郎供述によると、「本件自動車(ブルーバード)が前記県道伊切山中線を西進中被告人が『便意(大便)を催した』と称して南又林道に左折進入し南又林道内を約五〇〇メートル進行した地点(本件現場)で停車したが、その間被告人はAと雑談を交わし、Aが被告人の態度に不審の念を抱いた気配はなかった」というのである。

しかし、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、大便をするのであれば南又林道の入口付近で停車して徒歩で数歩入れば人目に付かずに用を足すことのできる場所がいくらでも存在することと、本件自動車を本件分岐点で南又林道に進入させるには鋭角左折という複雑困難な運転操作(熟練運転者でも数回の切り返し)が必要であることと、右分岐点から本件現場までの間の道路(南又林道)は片側は谷川に面し反対側は山が迫り道幅が約二・五メートルしかない曲がりくねった(急カーブの連続している)非舗装道路で両側に木の枝や草が迫り左右や前方への見通しが悪い(夜間には、前照灯が点いていても前方が右カーブか左カーブかの判別も容易ではない)ばかりか凹凸のひどい傾斜路面で谷川側の路肩は草に覆われているため其処で本件自動車を操縦するには高度の運転技術を要するのみならず熟練運転者でも細心の注意(不断の前方注視と小刻みのハンドル操作と絶え間のないギァ切替え)が必要であることが明らかである(それ故、A殺害が二郎供述のような状態で行われたとすれば、殺害後の脱出のためのバックや方向転換には二郎の誘導がなされたはずであるが、かかる誘導がなされたという二郎供述はない)。

以上の事実にかんがみると、被告人が「便意(大便)を催した」と言うのをAが聞いているはずであるのに、本件分岐点から本件現場まで約五〇〇メートルもの間の悪路で激しく動揺しながら本件自動車が走行している間にAが被告人の態度に不審を抱かないはずはないと考えられ、また、「被告人が以上の悪路でAと雑談しながら本件自動車を運転していた」という点も到底納得できないところである。

以上の理由により、「本件自動車(ブルーバード)が前記県道伊切山中線を西進中被告人が『便意(大便)を催した』と称して南又林道に左折進入し南又林道内を約五〇〇メートル進行した地点(本件現場)で停車したが、その間被告人はAと雑談を交わし、Aが被告人の態度に不審の念を抱いた気配はなかった」という二郎供述は余りにも不自然、不合理であって、到底信用できない。

(2) 二郎供述における「Aの態度」

二郎供述は「本件自動車の停車後間もなく、本件自動車の後部座席左側にいた被告人が、本件自動車の後部座席右側にいたAの脇腹を、Aと雑談中に、いきなり、本件ナイフで突き刺し、その直後、被告人がひとりだけで(その際、助手席にいた二郎の協力も求めずに)片手でAの身体を車外(左側)に引きずり出したところ、Aが逃走し、その後、Aに追いついた被告人が更に本件ナイフでAの身体を刺したため、ついにAは本件自動車の後方(北方)約一〇メートルの地面に仰向けに倒れた」というけれども、被告人が片手でAの身体を車外(左側)に引きずり出すという困難な作業をひとりだけで(その際、助手席にいた二郎の協力も求めずに)実行したというのは、如何にも不自然、不合理であるし、また、被告人の以上の暴行の間、二郎供述によるならば「Aが抵抗したり、声を出したり、助けを求めたりするという事態があれば、当然二郎の耳目に届く状態であったのに、二郎は、Aの呻き声の他には、かかる事態を見聞きしたことが全くなかった」というのであって、被告人や二郎から感謝されこそすれ恨まれる筋合いの何らないAが、いかに驚愕したとは言え、沈黙のまま、無抵抗に被告人の攻撃を受けるだけで、被告人に対しても二郎に対しても、何も言わなかった(二郎も共同加害者であることを、当時、Aが確実に認識し得たことを窺わせるような事情が何もなかったのに、Aは二郎に助けを求めることすらしなかった)というのは、余りにも不自然、不合理であるから、常識上にわかに首肯できない。

(3) 本件凶器の使用

しかも、二郎供述では「かように地面に倒れているAに止めを刺すために、(二郎と被告人との間の「被告人が本件ナイフを用い、二郎が本件凶器を使用してAを殺そう」という当初の計画を無視して)被告人が自ら本件凶器でAに攻撃を加えるため、被告人が二郎に『よきを寄越せ』といい、二郎の手から本件凶器を受け取った」というが、二郎が、たとえ二郎の知的能力に障害があるにせよ、二郎供述によると、その際二郎は多額の現金を持っており、このことを被告人が知っていたのであるから、二郎としては「二郎自身に対する被告人の攻撃があるかもしれない」と考えるのが当然であるという状況の下(現に被告人は、本件小刀しか携帯していないときに二郎に対して強盗致死の犯行に出たことは、前記第二のとおりである)で、当初の前記計画を無視した行動に出た被告人に対して「別に何も思わず(格別の恐怖も感じないまま)、無言のまま、本件凶器(すなわち、本件小刀や本件ナイフとは比較にならないほど殺傷力の大きい凶器)を被告人に手渡した」という点においても、二郎記述の信用性については多大の疑問があるといわざるを得ない。

(4) Aの靴の捜索

二郎供述によると、「Aを殺害しAの死体を本件自動車の前方(南方)約二〇メートルにある橋の下に投げ込み隠匿した後、Aの靴(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号四)を捜し出して本件自動車に格納した」のであるが、本件自動車のライトの光しかない夜間の本件現場での靴の捜索は容易な(短時間でできる)仕事ではなく、しかも、かかる靴を拾って本件自動車に格納するという余り緊急性のないことを事件当夜に何故しなければならなかったかという点とか、「被告人や二郎が本件現場にいた時間はA殺害の前後を通じて約半時間に過ぎなかった」という二郎供述にかんがみても、かかる二郎供述は信用できない。

(5) 本件凶器の隠匿

二郎供述の中には、「本件凶器は被告人の父親の工場の中にあったものを被告人が持ち出してAの頭部を殴打した」という供述部分がある。ところが、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、本件凶器は、A死体発見後、捜査官が全力を挙げて捜索したが、結局発見できなかったのであり、ただ、二郎供述により本件凶器と類似していると思われる物件「よき」(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の二の符号三〇)が押収されているだけであることが明らかであり、しかも、二郎供述によれば、二郎は本件凶器の形状や重量を正確に把握できる程度に本件凶器に手を触れたり本件凶器を眺めたりしたことはなく、ただ、A殺害の夜に(したがって、心理的に異常な状態の下で)極めて短時間の間に、本件凶器に手を触れただけである(それなのに二郎供述において、本件凶器の形態や大きさ、殊に、峰の形状が相当詳細に述べられている点も不自然である)。更に、後日被告人が本件凶器を隠匿又は投棄した可能性について検討するに、二郎供述の中では「本件凶器はA殺害の夜に洗浄し右工場に戻した」と述べられている。そうすると、本件凶器を被告人が自ら(本件凶器がなくなったことにより、被告人の父親が不審の念を抱き被告人に詰問するおそれがあるにもかかわらず)隠匿したり投棄したりするには、Aの行方不明が明るみに出たことを被告人の身柄拘束の前の時点で被告人が察知したという特別の事情がなければならない(かかる特別の事情もないのに、被告人自身が、一旦洗浄し格納した本件凶器を隠匿したり投棄したりするはずがない。もし被告人が、身柄を拘束される前に本件凶器を隠匿したり投棄したりしたとするならば、A殺害後に直ちに、本件凶器を洗浄も格納もせず、隠匿したり投棄したりしたはずである)が、殺人原審証拠と殺人当審証拠とによると、かかる特別事情の存在を窺わせるような事情は一切見当たらず、むしろ、被告人の身柄が拘束された時点(昭和四七年五月一四日夜)までの段階ではAの両親はAの姿が見えないことを余り気に掛けていなかった(したがってAの捜索も未だ考慮していなかった)ことが明らかである。したがって、被告人が洗浄し格納した本件凶器が未だに発見されていないという事態は、被告人の家族が本件凶器を隠匿したり投棄したりした場合以外には考えにくい。しかし、殺人原審証拠によると、昭和四七年七月三一日午後三時五〇分から捜査官が石川県<住所略>所在の被告人方住宅の捜索をした際、其処の玄関内壁に差し込んであったよき(本件凶器と類似している形状の道具・名古屋高等裁判所昭和四七年押第三六号二の符号三〇)や手斧が発見されており、しかも、その時点では、被告人の家族は、A殺害に使用された凶器の大きさや形状を知っているはずがないのである。このような事情にかんがみると、被告人の家族が、被告人の身柄が拘束された時点以後、以上のよき等の中から特に本件凶器を選択し、本件凶器を隠匿したり投棄したりしたとは、到底考えられない。それ故、「A殺害の直後には本件凶器の隠匿も投棄もしないで、その夜の内に本件凶器を洗浄して工場に格納した」という二郎供述は、容易に信用できない。

(6) 目撃者不存在

二郎供述の中には「A殺害のためAを本件自動車に乗せた場所はAの居宅付近(市街地)の道路上であり、また、A殺害後は被告人と共に本件自動車で特殊浴場に遊びに行き、その帰途、徐行中に擦れ違った自動車の人から声を掛けられた」という供述部分があるが、当時本件自動車にはナンバープレートが付いていたことが殺人原審証拠により明らかで、これに反する資料はなく、更に、二郎供述によると「被告人や二郎がA殺害の前後を通じ、他人の目を避けるための意識的行動をとったことはない」というのであって、それにもかかわらず、A殺害の夜にAや二郎や被告人の姿及び本件自動車を目撃した者が出て来たという資料が殺人原審証拠や殺人当審証拠の中に全く見当たらない(被告人や二郎がA殺害の容疑者とされたこと、また、本件自動車がA殺害の際に使用された車と考えられていることが、付近住民の噂の種になったと推察されるが、それにもかかわらず、以上のような目撃者が名乗り出たという資料が全くない。)。してみると、かような二郎供述が真実に則した供述であるとは考えにくい。

(八) 二郎供述の非迫真性

以上の(一)から(七)においては、二郎が二郎供述中で実際に供述した供述内容そのものが証拠によって認められる客観的状況に符号するか否かの点から信用性を検討してきたわけであるが、重複を厭わず別の観点から二郎供述の信用性について更に検討する。

二郎供述中には、共謀の存在に関し「被告人が二郎に、Aと宮川との殺害の計画を持ち掛け、二郎が、これを了承した」という供述部分、本件現場への誘導(道行)に関し「本件自動車が南又林道内を約五〇〇メートル進行して本件現場で停止するまでの間、被告人とAと二郎とは雑談を交わしていた」という供述部分、本件現場で共犯者として殺人の実行行為を目撃したことに関し「被告人は、二郎の協力を求めることもせずに一人で、前記(七)の(2)記載の暴行をAに加えた」という供述部分がそれぞれあるけれども、右の各供述部分は単に二郎、被告人、Aの行動の経過を表面的に辿ったものに過ぎない。

すなわち、二郎供述の中には、殺害計画を持ち掛けられたときの二郎自身の驚き、これを了承、しかも即座で了承することへの二郎の躊躇、Aを殺害することになるはずの本件現場への道行における二郎自身の不安や恐怖、二郎と同じ立場であるはずの被告人の言動に対する二郎の関心と右言動の認識結果、何も知らずに死への道行をしているはずのAの一挙手一投足に対する二郎の関心とその言動を認識した結果、そのような立場にあるAへの二郎の憐れみ、本件現場での被告人の積極的な行動に対する二郎の驚きや疑問、本件現場で突然被告人から暴行を加えられたAの反応等について、二郎の供述能力を考慮しても、実際に経験したものでなければ供述し得ないような生々しい、臨場感のある供述部分が見当たらないのである。

確かに、二郎供述は裁判所や裁判官に対する供述であって、それらの供述を引き出すについては質問者や尋問者の質問・尋問の巧拙が影響してくるであろうし、また、その大部分を占める二郎原審供述は、原審共同被告人としての黙秘権の保障の下での供述であるけれども、現実には質問者や尋問者も前段記載の諸点には無関心ではいられず、二郎に手を変え品を変え質問や尋問を繰り返しているが、例えば、殺害計画の了承の点についての「まあ、はじめてやったもので、びっくりしましたけれども」とか「(何も考えず)ただ承諾の返事をしただけです」という供述、本件現場での被告人の暴行に対するAの反応の点についての「Aの呻き声を聞いた以外は、Aが抵抗したり、声を出したり、助けを求めたりするような事態を見聞きしたことがなかった」という供述、あるいは、「ちょっとわかりません」とか「(記憶)がないんですけれども」という供述をしているだけであり、追及的質問には口を閉ざし、したがって、前段記載の諸点に関する二郎の供述に対する質問者や尋問者の質問や尋問の巧拙の影響は、先ず、考えられない。そうだとすれば二郎供述中の前記供述部分についても、二郎自身が実際に経験したことがらを供述したものと理解するには合理的疑惑を否定し去ることができない。

(九) 二郎供述の非真実性

以上のとおり、二郎供述は、実際に経験したものでなければ供述し得ないような生々しい臨場感に欠けるのみならず、その真実性を裏付ける資料が極めて乏しく、むしろ、二郎供述の非真実性を裏付ける諸事情、すなわち、前述の諸事情の他にも、殺人事件において原審で二郎が被告人の共同被告人という関係にあり、実体的にも、前述のとおり、二郎はAの殺害かAの死体の処理に何らかの形で関与しているという事情や、二郎が被告人から殺害され現金を強奪されかかった(そのため被告人に悪感情を抱いている)という強盗事件が発生したという事情や、更には、(殺人原審証拠と殺人当審証拠とによって明らかな)二郎は尋問者からの誘導にすぐ乗り易い性格の持主で知的能力にも多少の障害があるという事情がある以上、二郎供述が信用に値するとは到底言い得ない。

5  結論

「二郎と被告人との間でA殺害の相談がまとまり、これに基づいて、被告人がAを殺害し、右殺害行為を二郎がその場で目撃していた、又は、その場に居合わせた」という二郎供述が信用できなければ(すなわち、二郎供述の信用性が極めて高度であると判断されなければ、換言すると、二郎供述が真実を述べた供述であるということについて高度の蓋然性、あるいは、合理的疑惑の克服がなければ)、「被告人が二郎と共謀して、Aを殺害し、Aの死体を遺棄した」という事実は、かかる事実があったかもしれないという疑惑の段階に止まり、これを確信をもって認定することは、到底不可能であること(すなわち、殺人原審証拠と殺人当審証拠との中から二郎供述を除いたものだけで、かかる認定はできないこと)は、前記2の(一)のとおりであり、それ故、「二郎供述が信用できる」という安易な判断の下に、二郎供述を根拠として、「二郎が宮川から借り入れた借用金を返済しなくても済むようにするため、被告人が二郎と共謀してAを殺害し、Aの死体を遺棄した」と認定している原判決には、事実の誤認があり、この誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるのは、いうをまたない。論旨は理由がある。

第四  原判決の破棄

以上の理由により、控訴趣意中のその他の主張(量刑不当の主張)についての判断をなすまでもなく、原判決中被告人に関する部分は破棄を免れ得ないから、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決中被告人に関する部分を破棄することとする。そして、強盗事件の訴因では、強殺犯意の成立の時期について「前記第二の四の2の(一)の(3)のとおり二郎が親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用として石川県小松市内の金融業者から三〇万円を借りることについて、被告人が斡旋に乗り出した時点よりも前の時点で、被告人が強殺犯意を抱いていた」と主張されているが、強殺犯意の成立の時期について当裁判所の認定した事実は、「前記第二の四の2の(一)の(4)のドラィヴの途中で被告人が二郎に『野蕗を採って帰ろう』と持ち掛けた時点の直前ころに、被告人が強殺犯意を抱いていた」という事実のみであり、「前記第二の四の2の(一)の(3)のとおり二郎が親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用として石川県小松市内の金融業者から三〇万円を借りることについて、被告人が斡旋に乗り出した時点よりも前の時点で、被告人が強殺犯意を抱いていた」という事実が認定できないことは、前記第二の四の2の(三)のとおりである。しかし、当裁判所の認定事実と検察官主張の右訴因との食違いは、所謂縮小認定の理論により解決することができると判断されるから、ここでは、訴因の予備的変更の手続をしないこととして、同法四〇〇条但書を適用して、当裁判所において、更に、次のとおり判決する。

第五  自判

一  事実関係

1  犯行に至る経緯

被告人は、石川県<住所略>で蒔絵師をしている父親と母親との間の一人息子として、両親と母方の叔母との三人と共に同居して生活し、父親の仕事の手伝いをしていたが、その収入は、父親から支給される毎月二万円の手当てだけであり、その中から、預金講(旅行等の費用の積立や貯蓄等の目的で被告人らが加入・運営していた講)二組の会費として月額数千円を支払った後、残額は自分の小遣いとして、遊興費(飲み代やパチンコ代やボーリング代及び馴染みの女性のいる特殊浴場での支払い等)に充て、毎月の遊興費もほぼ半月で遣い果たしてしまい、しかも、被告人が自由にできる預貯金は何もなかったし、被告人の父親は金銭的に被告人に厳格であるために、被告人としては、父親から遊興費を更に貰い受けるのが躊躇されるという状態であったので、前記貯金講から数万円の借金をし、昭和四七年五月当時は、その返済に苦慮していた。ところが、前記預金講の仲間で同年六月に関西方面に旅行しようという話が同年四月にまとまり、被告人は、この旅費の捻出についても頭を悩ませていた。そのころ、被告人と数年来の遊び仲間であり家も近く同じ中学校の卒業生(被告人の方が二年先輩)であった二郎は親に無断で大阪に行こうという気を起こし、そのための費用として、被告人の斡旋で、同県小松市内の金融業者から、三〇万円を借りることに話を決め、同年五月一〇日に右業者(宮川)から受領した小切手を翌一一日に換金して二〇万円余の現金を手に入れたが、その現金の中から、二郎は、被告人の要請に応じ、被告人に一万円を貸与した。

2  強盗殺人行為

かような状況の下で被告人と二郎とは同月一四日午後被告人運転の軽四輪貨物自動車で福井県方面にドラィヴに出掛けたが、そのとき二郎は二〇万円余の現金を携帯していたけれども、その間、被告人と二郎との間に気まずい雰囲気は何もなく、二郎は被告人を馬鹿にしたことも被告人に冷淡な態度を取ったこともなかったところ、このドラィヴの途中、二郎が以上のように現金を携帯していることを察知した被告人は、石川県加賀町須谷町地内を進行中に、「二郎を殺害して二郎から二郎の所有の現金を奪おう」という意図の下に、二郎に対して「野蕗を採って帰ろう」と持ち掛け、同地内の通称学校山の下林道に入り、同日午後六時ころ右林道の奥で右自動車を停めて、車が出易い状態にして駐車し、直ちに二郎と共に車外に出た後、右の意図を実現させるべく、右自動車に引き返して、液体が入っているクリープ容器と本件小刀とを車内から持ち出し、これを手にして二郎の背後に忍び寄り、同日午後六時過ぎころ、いきなり、二郎の背後から、右容器に入っている液体を二郎の顔面に浴びせ掛けて目潰しを加えたうえ、本件小刀を二郎の右脇腹に一回突き刺し、その後更に、二郎の顔面や胸部等を本件小刀で切り付け、その直後、本件小刀を両手で構えて、土手に身体を凭れ掛けていた二郎の身体目掛けて再び突き掛かったが、その瞬間、二郎は両手で被告人の両手を押さえ付け、ここに被告人と二郎とが本件小刀を奪い合う形になり、この奪い合いの最中に、二郎が「離せ」と叫んだところ、被告人が「何もせんから、お前こそ離せ」と言い、ここで手を離したら危ないと感じた二郎が重ねて被告人に対して「お前みたいな奴、信用できんから、お前こそ離せ」と言い返したけれども、被告人は「被告人の方で手を離したならば、体力に勝る二郎が逆に被告人を殺すかもしれない」と考え、「本件小刀を二郎に渡すことは絶対にできない」という思いの下に「それならナイフを地面に刺して折ってしまおう」と呼び掛けたところ、二郎は「こんなところでは折れんから車の所で折ることにしよう」と答え、ここに被告人と二郎とは、それぞれ両手で本件小刀を持ったまま、前記駐車車両の傍に戻り、右車両の扉の付け根の箇所に本件小刀の先を差し込み、二人で力を併せて本件小刀を折ってしまった。

3  その後の事情

その後、被告人は、その場に土下座して二郎に謝罪して許しを請うたが、本件暴行のため血を流している二郎の「病院へ連れて行け」という何回もの懇願を無視し、その場を動こうとせず「もう少し話して行こう」と繰り返すばかりであった(その間、被告人と二郎との間で「本件暴行による二郎の負傷は、熊に襲われたための傷であるということにしよう」という約束が成立した)ところ、被告人が何時までも腰を上げようとしないため、二郎は、被告人の隙を窺い、前記自動車に飛び乗り、これを運転して、その場から逃げ出したので、被告人は徒歩で右自動車を追跡したが、二郎は、折から付近に来合わせた自動車の運転者に救助を求め、右自動車に同乗させて貰い、被告人の追跡から逃れ、病院へ運び込まれたのであり、前記2の強盗殺人行為の後の被告人の右言動は、その場を一時的に糊塗するための方便に過ぎず、また、被告人は、二郎の怪我の手当ては何もせず、二郎を乗せた右自動車が走り去った後、被告人自身の自動車を運転して付近を徘徊し、結局、石川県江沼郡山中町の寿司屋に入り、そこで寿司を食べてから、二郎との間の前記約束に一縷の望みを託して、帰宅し、その結果、二郎は、本件暴行により一か月間の安静加療を要した傷害(右前胸部貫通刺創、右第九肋骨骨折、顔面、右胸部、両肩、右上腕、右手掌、右肘部切創等の傷害)を負っただけで、所有現金も奪われなかったし、命も取り止めたため、被告人は二郎殺害の意図も前記現金強奪の意図も達成し得なかった。

二  証拠の標目(省略)

三  刑事訴訟法三三五条二項所定の原審弁護人の主張について

1  中止未遂の主張について

原審弁護人は「被告人が、二郎を殺害することもなく、二郎から金品を強奪することもなかったのは、被告人が被告人自身の意思により強殺犯意の実行を断念したからであり、これは、中止未遂に該当する」と主張する。しかし、右主張を容認することのできないことは、前記第二の四の3で説明したとおりである。

2  心身耗弱の主張について

原審弁護人は「二郎を殺害して二郎から金品を強奪しようとした被告人の行為は心身耗弱の行為に該当する」と主張する。しかし、強盗原審証拠と強盗当審証拠とによれば、前記一の2と同3との行為の際、被告人の是非善悪弁別の能力と右弁別に従って行動する能力とは、何ら減弱していなかったことが明らかであり、この判断を動かすに足る資料は見当たらないから、右主張を容認することができない。

四  縮小認定の理由

強盗事件の訴因においては、強殺犯意の成立の時期について「前記第二の四の2の(一)の(3)のとおり二郎が親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用として石川県小松市内の金融業者から三〇万円を借りることについて、被告人が斡旋に乗り出した時点よりも前の時点で、被告人が強殺犯意を抱いていた」と主張されているが、強殺犯意の成立の時期について当裁判所の認定した事実は、「前記第二の四の2の(一)の(4)のドラィヴの途中で被告人が二郎に『野蕗を採って帰ろう』と持ち掛けた時点の直前ころに、被告人が強殺犯意を抱いていた」という事実のみであり、「前記第二の四の2の(一)の(3)のとおり二郎が親に無断で大阪へ行こうという気を起こし、そのための費用として石川県小松市内の金融業者から三〇万円を借りることについて、被告人が斡旋に乗り出した時点よりも前の時点で、被告人が強殺犯意を抱いていた」という事実は認定できないのであり、このことは前述のとおりである。

五  法令の適用

1  構成要件該当性

被告人の前記一の2と同3との所為は刑法二四〇条後段、二四三条所定の強盗致死未遂罪に該当するから、その所定刑中、無期懲役刑を選択する。

2  法律上の減軽と量刑

これは障害未遂に該当するから、同法四三条本文と六八条二号とを適用して、法律上の減軽をした刑期の範囲内において、これまでに縷々説示してきた諸事情(特に、この犯行が偶発的発行であること)にかんがみて、被告人を懲役八年に処することとする。

3  原審における未決勾留日数の算入

原審における未決勾留日数の算入については、被告人は、強盗事件により昭和四七年五月一六日に勾留され(同月三一日に起訴され)以来現在まで勾留されているけれども、一方、殺人事件により、同年七月二九日に勾留され同年八月一七日に釈放され同年九月一四日に勾留され(同日に起訴され)以来現在まで勾留されているのであって、殺人事件起訴後原判決宣告までの被告人の身柄拘束のほとんどすべてが殺人事件の審理のためにのみ利用されたものであるが(強盗事件の審理としては、二郎を含めて三名の証人が尋問され、これに三回の公判期日が充てられた他には、共同被告人《二郎》と被告人とに対する質問がなされたのみである)、こうして昭和五〇年一〇月二七日に原判決が言い渡されたことが一件記録により明らかであるところ、原判決言渡の日以後の未決勾留日数は、刑事訴訟法四九五条により、全部本刑に通算されることとなり、したがって、前記2の懲役八年の刑は、その執行の余地がない。そこで、強盗事件について、この判決では原審における未決勾留日数の算入をしないこととする。

4  没収

押収してある「ナイフの刃体の一部がついて居る木造柄」一個(名古屋高等裁判所平成元年押第三六号の一の符号一)と押収してある「右ナイフ刃体中央部と思われる刃体片」一個(同号の一の符号二)とは、右犯罪行為に供した物で、右犯罪行為の犯人である被告人以外の者に属しない物であり、したがって、刑法一九条一項二号と二項本文とにより、これらを没収することとする。

5  訴訟費用

原審と当審とにおける訴訟費用の中、強盗事件に関する部分は、刑事訴訟法一八一条一項但書により、これを被告人に負担させないこととする。

六  一部無罪の理由

殺人事件の公訴事実は「被告人が、二郎と共謀のうえ、南又林道で本件自動車を停止させたうえ、昭和四七年五月一一日午後九時ころ、停止中の本件自動車内で、A殺害の意図の下に、Aの左脇腹を本件ナイフで突き刺し、Aを車外に引きずり出したうえ、逃げようとするAを追い掛けて、Aの腹部等を本件ナイフで数回突き刺してAをその場に仰向けに昏倒させた後、二郎が本件自動車のトランクから取り出した本件凶器を二郎から受け取って、本件凶器の峰でAの頭部を殴打し、その結果、同所でAを死亡させ、右犯行直後、二郎と共謀のうえ、Aの死体を右殺害現場付近の谷川の橋の下に投棄した」というものであるが、殺人原審証拠と殺人当審証拠とを精査検討してみても、殺人事件について犯罪の証明がない(被告人が二郎とともにA殺害とAの死体の遺棄とをしたことはないかもしれないという合理的疑惑が払拭されていない)といわざるを得ない(このことは、既に前記第三で詳述したとおりである)から、この点については、刑事訴訟法三三六条後段により、無罪の言渡しをする。

第六  結び

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本 卓 裁判官 油田弘佑 裁判官 片山俊雄)

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